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皇居東御苑 ~江戸城天守跡から眺める摩天楼は絶景

2017年12月23日 | 城・屋敷・歴史遺産

皇居の空はとてつもなく広い

 

 

東京の中心、江戸城の跡地は皇居になっているので入れないようなイメージがあるが、松の廊下のあった本丸跡など江戸城の主要な部分は、宮内庁により公園「皇居東御苑」として公開されている。少し高台になった「天守台」からは大手町や丸の内の摩天楼をパノラマで見ることができ、とてもすがすがしい。江戸城の大きさとそれを造った徳川の権力に度肝を抜かれるとともに、普段と異なる角度から東京の街を楽しむことができる。

 

皇居東御苑は、江戸城の中枢部であった本丸・二の丸・三の丸がほぼ相当する。この中枢部には、幕末の失火、関東大震災、第二次大戦の空襲により、江戸時代の建物は残念ながらほとんど残っていない。もし本丸御殿がもし残っていれば、京都の二条城をはるかにしのぐ美の殿堂であったことが想像に難くない。京都のように江戸時代以降に震災や戦災から免れた街は、日本どころか世界を見渡しても奇跡的なのだ。

 

皇居東御苑の公開は1968(昭和43)年から始まり、今でも無料だ。東側で大手町駅が最寄りの「大手門」、北側で竹橋駅が最寄りの「平川門」「北桔橋門」の3か所から入退場できる。

 

建物はほとんどないため巨大な空間になっているが、少しずつ往時の建物の復元も行われている。都心を東西に貫く永代通りの正面にある、江戸城の正門「大手門」も戦後の復元だ。

 

一方ごく一部だが江戸時代から現存し、内部を見学できる建築もある。本丸跡の西側に残る「富士見多聞」は石垣の上に造られる長屋状の防御施設だ。本丸・二の丸に通ずる門の「百人番所」は同心100人が配置され24時間体制で警護にあたっていた。江戸時代をしのばせるとても貴重な遺構なのでぜひ見ていってほしい。

 

「本丸」は広大な芝生になっているが、隅には「松の廊下」の跡地を示す石碑が建てられている。あの忠臣蔵の「赤穂事件」の現場である。また芝生からは頑丈そうな石垣も見える。天守台の跡だ。ここからは東京の摩天楼の眺めが絶景だ。

 

江戸城の天守は家康・秀忠・家光と3人の将軍が、権力を誇示するためか、それぞれ立て直している。家光が築いた三代目が1657(明暦3)年に江戸の街を焼き尽くした明暦の大火の際に焼失した後、天守は再建されなかった。今に残る天守台は、四代目を再建しようとして土台までは完成したが、結局建てられなかったものである。当時の幕府重鎮で4代将軍の補佐役・保科正之が「大火による市中の復興を優先させる」として、再建を見送った英断が語り継がれている。

 

 

【公式サイトの画像】 松の廊下跡(千代田区観光協会サイト)

 

【公式サイトの画像】 天守台(千代田区観光協会サイト)

 

 

 

皇居東御苑内には、昭和天皇崩御後に皇室から国に寄贈された皇室伝来の美術品を展示する「三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん)」もある。いわゆる「御物(ぎょぶつ)」が順次展示されており、こちらもあわせておすすめする。江戸城跡とともに特別な空間を楽しめる。

 

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

江戸の城と街の構造を徹底分析

 

皇居東御苑(旧江戸城本丸・二の丸・三の丸跡)

http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html(宮内庁サイト)

原則休館日:月曜日、金曜日、年末年始

 

三の丸尚蔵館

http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannomaru.html(宮内庁サイト)

原則休館日:月曜日、金曜日、年末年始、展示替え期間

 

 

 


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