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晴明神社 ~京都随一のパワースポットは街の生き証人

2017年12月29日 | お寺・神社・特別公開

鳥居に魔除けの「星」のマークがきらりと光る

 

 

安倍晴明(あべのせいめい)は、現代において娯楽・芸術作品に最も多く描かれている日本の歴史上の人物と言っても過言ではない。平安時代に占星術や天文学・暦学を司る「陰陽師(おんみょうじ)」で、当時の最先端の科学に明るい人物として著名だった。晴明神社(せいめいじんじゃ)は、晴明を屋敷跡に祀るために一条天皇が創建した神社で、今では全国的にもトップクラスの人気のパワースポットとして知られている。とても神秘的な境内である。

 

晴明は小説、漫画、映画、ドラマ、舞台、ゲームとありとあらゆるところに登場する。1986年に夢枕獏が小説を発表して以来特に増えているが、メディアには平安時代から「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」などで登場している。江戸時代にも人形浄瑠璃・歌舞伎の主人公によくなった。平安時代に生を受けてから現代にいたるまで、ずっと人気を保ってきたすごいスーパースターなのなのである。

 

堀川通りに面した神社入口の「一の鳥居」には「五芒星(ごぼうせい)」がきらりと光り、ここから先が特別なエリアであることを醸し出している。いわゆる一般的な星のマークである五芒星は、実は魔術を表す記号としてほぼ世界共通で認識されている。そのためか、世界のどの国から来た観光客も緊張感をもって境内に入っていく。

 

 

 

赤い星の提灯はとても目立つ

 

 

境内のあちこちに、この「五芒星」があしらわれている。参拝者に非日常感を感じさせるとても“にくい”演出だ。参道を少し歩くと「清明井(せいめいい)」と呼ばれる湧水が出ている。千利休も茶会に使った湧水で、今でも無病息災に効くと言われることから多くの参拝者が味わっていく。

 

参道正面の本堂にお参りした後は、多くの参拝者がお守りやお札を求めて列に並ぶ。さすが全国有数のパワースポットだ。「五芒星」があしらわれたお守りのデザインはありきたりではなく、とても斬新でスマートに見える。

 

 

【公式サイトの画像】 お守り・お札

 

 

 

晴明神社は陰陽道の聖地だが、茶道の聖地としてもよく知られている。今の境内には千利休の屋敷があったと考えられており、境内には跡を示す石碑が立っている。「清明井」は清明の霊力で湧き出たものと言われるが、豊臣秀吉の時代には利休の屋敷にあったのかもしれない。

 

「一条戻橋(いちじょうもどりばし)」という名を聞いたことがある人は少なくないだろう。神社の前を流れる「堀川」を一条通が交差するところにかかる橋で、昔から様々な言い伝えが京都人によく知られてきた橋である。境内にある橋は、1995年に橋がかけ替えられた際に移築して縮小復元したものだ。

 

 

 

縮小移築された「一条戻橋」

 

 

「戻橋」という名は、平安時代に父の死を聞いた息子が遠方からかけつけると、この橋の上で父の魂があの世から“戻ってきて”再会できたと言う説話に基づく。そのため永らく京都人の間では、嫁に行く女性がこの橋を渡ると実家に“戻ってきてしまう”ので縁起が悪いと考え、近づかなかった。逆に戦争の時代には、召集令状が来た男性は、無事に“戻って来ることができるよう”この橋をわざわざ渡りに来たと言う。とても京都らしいエピソードだ。

 

利休が切腹した後、秀吉によって利休の首がされた場所がこの橋だという説も根強い。切腹の一因とされる大徳寺三門の木像に首を踏ませてさらしたという有名な話だ。1000年以上、都で人間模様を見続けてきた橋の遺構である。移築された橋は平安時代からあったものではないが、積み重なった時間の重さを感じさせる充分な風格がある。

 

 

 

こんなところがあったのか。

日本の世界の、唯一無二の「美」に会いに行こう。

 

 

平安時代のヒーロー・安倍晴明にほれ込んだ著者の集大成 

晴明神社

http://www.seimeijinja.jp/

原則休館日:なし

 

 

 


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