今月、山間部にある某温泉に出かけた。
高速道路を使って出かける遠方の地域だが、温泉のある道の駅を中心に積極的な町おこしの取組が評判なところで、かなり期待して出かけたのだ。
駐車場に車を停め、足を地面につけた瞬間、口を突いて出たのは「何だか柄の悪い道の駅だなぁ」というもの。
たまたまその日がそうした巡り合わせだったのかもしれないが、集まっている客層がどうも下品な感じだったのだ。
あちこち出かけているが、山間の温泉地ではついぞ感じることのない印象だった。
食事をし、温泉にはいる。
湯上り、休憩室で涼をとっているとき、半袖の先からその筋の方々の好まれる古典的モンモンをのぞかせる男性を見た。
リアルモンモン…何年ぶりで見ただろうか。
温泉にはお二人、本格的なモンモンを背負った方がおられたそうな。
今日、何気にテレビを見ていると、反原発デモの中心リーダーだという方々が出ておられた。
安保闘争の時のような、操作された過激なものではなく、フツーの市民が大量に行動しているデモだと認識していたが、発言している女性のむきだしの腕には、でかでかと3つのタトゥーが刻まれている。
フツーの人か?
そんなリーダーを担いでいるとするならば、この映像は電力会社の思うつぼだ。
大多数のフツーの人は引いてしまい、デモを支持することを躊躇するきっかけになる。
その方の御出演をご遠慮願わなかったのは、あるいは強力なスポンサーである電力会社と放送局との間でなされた策謀ではなかったか?
…とうがちつつ、嫌悪感に耐えかねて番組を見続ける気は失せてしまう。
今週は、何故か沢山入れ墨をみた。
ショッピングアーケードを手をつないで歩くカップルの右前腕と左前腕に、柄をあわせてお揃いにした本格的なモンモン。
そんな二人に子供が生まれたとして、自分の子供がその子と仲良くなることに躊躇しないだろうか?
フツーの人は警戒し、防御する。
差別ではないのだ。
オリンピックに出場する一流のスポーツ選手の身体にタトゥーを見ることもある。
人気のミュージシャンの身体に刻まれた入れ墨を見ることもある。
やはり嫌悪感は抑えられない。
私は普通の人とは違う人間であると示すために刻まれた入れ墨。
感覚も、行動も、常識も、社会の標準からは大きく隔たっているということだ。
そんな意思表示を前に、フツーの対応はとれない。
辞書や百科事典で言葉の意味を引いてみよう。
差別ではなく、歴史的な裏付けのある文化認識だ。
それを見ることでフツーの人が抱える嫌悪感を、消しゴムで消し去ることは出来ないだろう。