私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

父の「おぉーい」

2009-12-05 | 3老いる
昨日も、友人のお身内に脳梗塞で倒れられた方があって、本日の予定は変更になった。
この頃の季節が、脳梗塞の要注意シーズンである。

父の脳血管が詰まったのは、それとはっきり分かっているだけで3度。
それとはっきり周りに認識されない小さな梗塞は、無数に起こっているのだろう。

脳梗塞の回を重ね、年数を重ねるに連れ、父の自由は効かなくなり、現在の右半身麻痺・失語の状態となってもう4年目に入る。

運がいいような、悪いような父の人生なのだが、父は良く頑張っていると思う。
その生命力に感服する。
決して気の合う父ではなかったが、自分で移動が出来なくなり、話せなくなって、頑固な父から毒が抜け、年相応の御老人になることで、愛というか慈しみの姿勢で対することが出来るようになっているのは、私にとっての大いなる救いである。

父は言語野の脳梗塞後遺症で、自分の想いを文章にすることは出来なくなっているのだが、発声機能自体は健在で、時折?しばしば??「おぉーい」と叫ぶ。

父の「おぉーい」は
「痛い」だったり「痒い」だったり
「入れ歯を外すのを忘れているよ」だったり
「淋しいよ…誰かいないの?」だったりする。

お世話になっている特養のスタッフの方々も、初めはその違いを読み切れず苦労なさっていたが、先週お隣さんがベッドから転落し、冷たいピータイルの上に動けなくなっている様子を伝えるために
「おぉーい」と叫んで職員の方を呼び、お隣さんを守る役割を無事果たしたらしい。

そんな、小さな出来事から、理解し、理解され、ある種の信頼関係が築かれつつある様子だ。

そう、今や父のより信頼できる家族は、特養のスタッフの方達や同室のお隣さん達なのだ。
そうした人たちとの人間関係が、不自由な体をしていながらまだ築ける父を「大したものだ」と思っている。

もちろん、特養のスタッフさん達がプロとして優れていらっしゃるからということは大前提なのだけれど。

私は、時折訪れては、ベッドで浅い眠りについている父を
「おぉーい!」と言って起こし、目を開けて、ちゃんと様子を見に来ているよっていう事実を確認してもらって帰る。

高血圧の方、メタボちゃん、気をつけよう。
人間を制御する脳にダメージを受けることは、やはり人生の上では大きな不幸であるから。
世の中は、命を命として尊ぶことがし難い時代にもなってきていることだし。
コメント
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