私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

緊急呼出

2009-09-13 | 3老いる
緊急呼出がしばしば定期的にかかる。

純正のおひとりさま(勝手に造語)の場合、逃れる術が時とともになくなってゆく。
単線列車における終点だから。

誠実に対応し続けていると、自己のポジティブな生活構築は放棄しなくてはならない。
誠実な対応を放棄し、自己の生活の質を保とうとすれば、その都度の解決パターンは二度と再現されなくなる。

自分に大きく依存されていたり、期限を厳密に要求されている仕事には関与できないということだ。

いつでもホローのきく仕事、取り換えのきく人材であることが必要だ。

おひとりさまの存在は、緊急呼出元にとっては生命線だから。
何ともまぁ悲しい方程式がなりたつのだ。

ここ数日もその緊急呼出の対応に終始し、ドッと疲れたのであった。
正味拘束時間にしてみればさほどでなくとも、そこにかかる負荷というか、ストレスの度合いが違う。

不眠症などどこへやら、モーレツな睡魔に襲われ、泥のように眠り、過食に走る。

そして、こうした時期に限って、トピックスとなる出来事が何故か重なる。

後で振り返った時、あの時が山場だったなぁ…と感じることになるのかもしれない。
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にんじんジュースの朝食

2009-09-09 | 1食べる
あれこれ読み散らしていたが、「気・血・水(津液)」によって成立する人体の在り様を平易に解きながら、東洋療法的アプローチがされているのを面白く感じたので実践してみることにした。

ニンジンジュースダイエットである。

ジューサーを新たに購入するのを未だ躊躇しているので、イワタニのミルサーで材料一杯分を砕いてつくる。
ジュースと違って食物繊維も丸ごと胃に流し込むことになるので、石原Dr.推奨の2.5杯はとても飲みきれない。
1杯だけで十分飲みごたえのあるニンジンジュースが出来上がる。

また、ジューサーではないので、作る際に水分も必要となってくる。
本にはないが、ニンジンとリンゴの他にヨーグルトと牛乳を加えて作る。

存外腹もちが良いのに驚く。
消化器の具合は悪くない。

ただ、陽性の気を活性する食材のようで、昨日、今日あたりから気の流れが過剰になっているような感覚があり、少々とまどっている。

鍼施術中の心地よいビリビリ感の強烈なものに包まれる感じがあって、これをどう治めればよいのやら。
あれこれ自分で試してみるエネルギーもちょっと不足しているので「この気の流れはすごいなぁ…」と、ただただその流れに身をまかせている。
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やるせない姿(食事中読むべからず)

2009-09-08 | 3老いる
今日は、地場大手のドラックストアーのポイントサービスデーだった。

ゴミ袋やら入浴剤やら定番商品を仕入れに立ち寄ってみたのだが、駐車場は一杯だし、レジのどのレーンも5~6人待ちで結構な賑わいだった。

ひとしきり待たされ、精算を済ませて商品を持ち帰ろうと店舗の出口に買い物カゴを返したところで、一人の老婆とぶつかりそうになった。

ふわふわのブラウスを涼しげなスカートの上に羽織って、頼りなげな様子のその老婆と目は合うのだが、彼女は要件を切りだす気配がない。

私は、本来御老人には優しい性質で、特に彼女のような頼りなげなタイプには手を差し伸べたくなるのだが、両手に荷物を抱え、混雑した店舗の出口で少し先を急いでいた私に
「どうされました?」
と聞いて上げる余裕はなかった。

老婆とぶつからないように弧を描きならが店舗を一歩出て、異変は嗅覚を通してすぐに感じられた。
掃除の行き届いていないトイレの匂いがするのだ(そういえば、老婆の傍を通り過ぎる時からそれは少し臭っていたものだった)。
しかも、店舗を出たところでその臭いは強烈なものとなった。
息が出来ないくらい。

急ぎ足で進みながら、暮れはじめた周囲の様子を観察すると、出入り口からほどないところに茶色い液体がぶちまけられている。
いや、液体ではなく、それは明らかに50㎝四方に広がる泥状便そのものだった。

先を急ぎながら、状況を認識するのに時間はかからなかった。

ふわふわとした足取りのその老婆が、長いレジ待ちをへて精算を済ませ、店舗を出たところで便意を我慢できず、立ったままアスファルト上に泥状便を撒き散らしてしまったのだ。

その事態の収拾が御自身ではつけられず、店員に処理を依頼しようと店舗の入り口でふわふわなさっていたわけだ。

事態を飲み込み、店舗の入り口を振り返った時、すでに老婆の姿は見いだせなかった。

店からは次々買い物を終えた人々が吐き出されてくる。

客をさばくので手いっぱいで、店員の姿はまだ見えない。

「老い」というものは、誰にも必ず訪れる。
人格の良し悪しに関わらず、もちろん生活の貧富を選ぶこともない。

バックヤードの店員がブラシやホースをもって掃除に現れた時、その惨状は迷惑以外の何物でもないのだろうが、誰にでも訪れる老いの結果なのだ。
どうか、優しい憐れみをもって対処してくれたことを祈るばかりである。

その現実を受け止める余裕を保つには、思いがけないほどのエネルギーを必要とするだろう。

けれど、老いは必ず訪れるものなのだ。
あなたにも、わたしにも…誰にも例外なく皆に。
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駄目なんだなやっぱり

2009-09-03 | 3老いる
父を見舞う。

他に誰もいないから…という事情もあるが、長い時間をかけ、色々な自分の可能性を断って父と付き合ってきた。付き合わざるを得なかったという方が正しいが。

最近、目に見えて父の認知症は進行している。

ただ施設介護のプログラムの中で、少しずつ体力がついてきている所為で、その行動はパワフルになってきている。
歩けるようになった訳でも、話せるようになった訳でもないが、腹圧をかけることができるようになったようで、しばしば息む(いきむ)のだ…激しく。

腹筋も少しずつついてきているのではないか、私のそれより立派であるかもしれない。

その結果、胃に直接注入食を流し込むチューブから、胃液を逆流させて、私の背の高さにあるパックまで噴き上げさせるなどという事態をしばしば起こしているようなのだ。

そのことを父が意図して行っているのか、息む動作の結果としてその現象が起きているだけなのかはわからないのだが、いつも清潔に澄んでいた注入食のパックが、澱んで胃中の残渣を取り込んでいるのを見つけると気分が悪くなった。

家に帰り着くとまぶたのうえに台形状の蕁麻疹がたっぷり出来ている。

とにかく生理的に駄目なんだって私の体が訴えている。
血のつながった実の親なんだけど…実の親だからこそ許容し得ないってこともあると思う。
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ジューサー

2009-09-03 | 1食べる
朝ごはんを野菜ジュースに変えようとしている。

伊藤園の野菜ジュースがお気に入りなのだが、自家製のフレッシュジュースにはかなわない。
扱いの面倒な旧式のミキサーは廃棄して、現在は小型の簡易ミキサーを使っている。
食物繊維も丸ごといただけるし結構なのだが、大量に食材をさばけないのと、その振動を伴う音に閉口する。

何せ私の朝食は朝早い。
5時、6時から「ウィーン」という動作音と振動が響きわたるのは、マンション暮らしの場合やはり避けねばなるまい。

朝食をニンジンジュースにすることを勧める東洋医学系の本を注文するも、ジューサー(ミキサーとは別物なのね)を購入するのには躊躇する。

しかし、一週間たってもジューサーがやはり気になる。

静音タイプのジューサーは、サイズも金額も結構なもの。

一昨年はパソコンをビスタに買い換えたものの、結局十分な費用対効果のないまま二年間過してしまった。
XPで何の問題も無かったのに。

この辺の判断と決断が生活を左右するのだよね。
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