私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

水道水の残留塩素濃度は0.1mg/l以上に保つ

2009-12-04 | 15雑観
「水道水の残留塩素濃度は0.1mg/ℓ以上に保たなくてはならない」と水道法で義務付けられているという。

何故、以下ではなく以上なのか。
その義務付けを知ったころの私は、ひどくおぞましいことのようにその事実を覚えていたのだが、最近「0.1mg/ℓ以上に残留塩素が保たれているはずだ」という事実が、私に安心を与えていてくれることに気がついた。

土中に埋められた何十年も前の水道管の中を、何キロも流れ流れて個々の家庭の蛇口から出てくる水道水。
塩素濃度を保ち、殺菌できる状態を保っておかなくては、それこそ安心して口に出来るものにはならないのだ。

至極当然の理屈だったのであるが、この事実を受け止める私の感覚に、明らかな変化が生じたからこそその基準を頼もしいものとして感じ始めた訳だ。

今や私は、手入れを怠っている浄水器の水の方を、何倍も恐ろしいものと思っている。

変化は、そんな風にある日突然、それとは気づかぬうちに起こっているもののような気がする。

さまざまな人々の心のうちに起こる変化を、誰もとどめることは出来ない。

今は無駄を排除することに躍起になっているご時世だが、それがいつひっくり返るかなんて誰にもわからないのだ。
「あの人の話には無駄がない」という一見ほめ言葉が、いつの間にか「あの人には人間としての厚みがないから話を聞いていても面白くない」ということになったりするのは良くあることだ。

お金がありすぎて脱税もどきの行為をさんざん重ねる人もいれば、本当に食うものに困って法を犯さざるを得ない人もいる。

どちらが多数派だろうか。
自分はどちらに転ぶ可能性が高いか。

とりとめもないことを考えながら、このままでいい筈はないのだ…という意識だけはずっと心の底に流れているような気がする。
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ぼくやってないもん

2009-12-01 | 12怒る
郊外の父の家は、長年空き家状態が続いている。

高度経済成長時に開発された高台の住宅団地で、ちょうど世代交代の時期を迎え、うまく交代ができた家は建て替えがされ、地元で生活しなくなった家では次の主に売り渡される。

お隣は都銀勤めの老夫婦の終の棲家であったが、夫婦とも亡くなった今は相続人によって、転勤族に賃貸されている。

現在の賃借家族が住まうようになってから、父の家の庭が目に見えて荒れ始めた。
定期的に訪れるも、毎回アイスクリームのカップやペットボトル、缶ジュースの缶の潰されたのなどなど様々なゴミが散らばっていて、それを一つ一つ拾ってゴミの収集日に出すという作業を繰り返してきた。

塀にボールを投げ、庭に入りこんで飲食を楽しんでいるのだ。

昨夕訪れた際には、塀に一円玉が4枚積み上げてある。
手前の溝には、泥落とし用のマットが斜めに置かれ、飲食あとのゴミも庭のあちこちに常にも増して散乱している。

隣家は大家族。
子供が4~5人はいるだろうか。

美しかった京風の隣家の佇まいは、ここ5年余りで無残なものになっている。

隣家の玄関を入ってゆく子供に声をかけ、我が家の敷地に影響している状況を尋ねると
「ぼくやってないもん!」と叫び玄関に入って行った。

何年か前、君のお兄さんと思しき男の子にお尋ねしたときにも、同じことをいってたなぁ。
「ぼくやってないもん!」って。

君がやったのじゃあないかい?って言ったことはなく、この現状をお尋ねしただけなのだけれどもね。

一円玉の件を尋ねてみると
「それはお兄ちゃんだ」
と、「ぼくやってないもん!」の弟と後から出てきた妹が揃って言う。

「だって、一円なんかいらないって言っているもの」

一円をおろそかにするのは君達のお兄ちゃんの勝手だが、我が家の塀に積み上げるのはご遠慮申し上げるよ。

迷惑料を請求するのだったら桁がいくつも違ってくる。

ちょっと顔を出した母親は、指導などしない。
自由奔放な子供たちが、実に気ままに育っている。

どうか早く転勤していって欲しい…と切に願っている。
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