三五郎の車中泊の旅

車中泊でしか分からない、
 歩かないと見付けられない、 
  今そこにある感動を逃したくない。
       

拝啓、小林一茶殿

2023年12月12日 | エッセイ
早いもので今年も残すところ三週間足らずとなりました。

古人曰く、「光陰 矢のごとし、時 人を待たず」
現役の頃はそうでもなかったのですが、退職して気ままに自堕落な生活を送るようになると、直のこと月日の過ぎ去るのが早いのなんの。

それでも年の瀬ともなれば「あれもせにゃならん、これもせにゃならん」と何かと気忙しくなるというもの。
現役ともなれば直のこと。

  「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」 (小林一茶)

いよいよ年が暮れようとしているのに予定していたことの未だ終わりの見えない焦りの中で気持ちだけが先走る。
焦ったところでなんの解決にもならず、いよいよ他人にあたり散らかし人にあたったところでなんにもすすまず、
そんな時、コレです。
やらなくてはならないことを考えるより、やらなくてもいいことを考えて予定を減らす。
他人まかせにできることはまかせる。
ついにはどうしてもやらなければならんことがなくなる。

これはなにも年の瀬に限ったことでもなく、一年中なにかに追いかけられているような気の休まることもない平生にあって、少しは肩の力を抜いての
「あなたまかせ、」なのであります。

まあ、一茶殿に聞いた訳ではないので何とも言えませんが、なるようになる!


やがて分かり合える

2022年09月24日 | エッセイ
金子みすゞさんの「さびしいとき」を少しだけいじらせてもらいました。

   私が寂しい時、他の人は知らないの
   私が寂しい時、お友達は笑うの
   私が寂しい時、お父さんは優しいの
   私が寂しい時、お母さんも寂しいの

よく、「人の身になって考える」と言いますが、そんな相手の立場に立って理解することはそう容易くはない。
人は私のことを何も分かってくれないと苛立ちと孤独感に苛まれることがあるが、私自身も相手のことを分かろうともしていないことが往々にしてあるもの。
なにか問題が起きる、自分がその問題の当事者となったとき、「あれはどうすればよかったのか」「これからどうすればいいのか」など、過ぎ去ったことやまだ来ぬ先のことで思い悩み眠れない夜を過ごすこともこともあるでしょう。

   過去と他人は変えられない
   未来と自分だけが変えられる

今考えてもどうにもならないことは、実際にそのときになってから向き合えばいい。
分からないこと、分かってくれないことは、やがて分かり合える日がきます。
このお母さんのように。


ちゃんとやれただろうか

2021年07月05日 | エッセイ
枯れて生きる。
生きて枯れる。
立派に枯れる為に盛んに生きる。
             (高見順)

今年の二月に母が逝って、はや五カ月が過ぎた。
正月にはまだ元気に見えたが、たった二カ月でこんなにも弱るものなのか。
心配掛けまいと気丈に振舞っていただけなのか。

日に日に食が細っていく母に、なんとか食べさせようと料理の勉強もした。
味付けを聞けば「うん、旨い。」と言ってくれた。
じゃもう少し食べようかと言えば「もういい。」と言う。
それでも「食べないと力がでんぞ」とスプーンを口元に運ぶ私に気を使ってか何口かは食べてくれた。
母のため?
自分が少しでも安心したいだけだったのではなかったのか。
病人に余計な気を使わせただけなのではなかったのか。

今になってなぜこんな話をするのかと言えば、先日お寺からの会報に「人はお迎えが近づくと、だんだん食べられなくなり、話をしなくなるのは、その人が死の準備をしているからです。」(玉置妙優)とあった。
もしかしたら私は間違った介護をしていたのかと考えさせられた。

葬儀の日、棺に収まった母を見ても不思議と涙が出なかった。
頬はこけて枯れているように見えた。
一生懸命に、誰に恥じることもなく立派に生きたと思う。

私は最後の時までちゃんとやれただろうか。
もしかしたら最後まで母に気を使わせたのではなかったのか。

生前、母が植えた玉ねぎが立派に成長して先日収穫しました。
食べきれるような量ではないので、近所の人や妹や友人とかに随分配りました。

スライスして生で食べたり、肉じゃがに入れたり、摺り卸してペースト状に炒めてカレーに入れたり、、、
母の為と思って勉強したことが今、私の食生活を支えてくれています。

ただ、玉ねぎは目に沁みますね。






コロナ禍

2020年05月01日 | エッセイ
世界の人々の中で、例えば頭に拳銃を突き付けられても平然としていられるのが日本人だとか。

褒めている訳ではない。

単に想像力が乏しいと言うだけの話である。

銃を突きつけられても「まさか本物じゃあるまい。」とか「まさか本気で撃つ気じゃあるまい。」とか。
そこには何の根拠もない。

新型コロナウイルスの話しです。

学校はいつまでもたっても新学期を迎えられず、飲食店等は先の見えない自主休業を続け、ほとんどの国民が自主的に外出を極力控えている中、テレビニュースに映し出される過密な行列。

聞けばパチンコ店の開店前からの行列だとか。
インタビューすると「家にいても暇だから」とか「マスクしてるから大丈夫」とか、挙句には「俺は風邪もひいたことがない」だとか。
耳を疑うような返答が帰ってくる。

単に想像力が乏しいと言うだけの話しである、と片付けられない状況です。
銃を突き付けられているのがパチンコ店に並んでいる人達だけだけなら好きにすればいい。
もしこの中に一人でも感染者がいたなら他の人に移り、移された自覚のないまま家に帰って家族に移し、例えば可愛い孫に移すかもしれないと、なぜ想像できないか。

連日、医療現場の様子もテレビで映しだされる。
ここで戦っておられる医療従事者の方々にとってコロナ禍は、想像ではなく現実です。
通常は三交代勤務だが二交代ですらない。12時間以上の勤務が連日続くということです。

勤務が終わっても家にも帰れない人が少なからずいるそうです。
理由は、万が一にも家族に移すようなことがあってはならないからだそうです。

戦争と言っておられました。

いつ感染するかもしれない。

まさに、銃を突き付けられての勤務と言っても過言ではないでしょう。


想像力を働かせましょう。

それが今、自分ができることです。









新成人のみなさんへ

2019年01月12日 | エッセイ
ご成人、おめでとうございます。


世界の国々の中で、一番恥ずかしがり屋さんが多いのは日本です。

その訳は、失敗した時に一番責められるのが日本の子供たちであるという。

失敗は恥ではない。

「成功から学ぶ一行、失敗から学ぶ一冊。」

失敗を恐れることなかれ。