「白髭神社」編に続いて「丸子舟の館」編です。
場所は「西浅井町」の県道557号沿いで、まっすぐ琵琶湖へ向かうと「琵琶湖パークウェイ」です。
入ると受付があって、入場料は大人300円とかなり安いです。
受付のすぐ横に復元された丸子舟があります。
丸子舟は古来より日本海側からの物資を「塩津港」で積み込み、大津・堅田まで運び、陸揚げして京都、大坂へと運びました。
琵琶湖の水運は中世までは主に「堅田衆」が掌握していたと言われています。
西浅井の菅浦にも「菅浦水軍」という組織があり、堅田衆との間でしばしば争いが起こったと言われています。
舟の中は当時の様子を再現されていました。
ここから舟を見下ろすように階段を上って二階に上がると資料館のようです。
模型がありました。
当時の様子を伝えるジオラマがあります。
永禄12年頃には、琵琶湖水運を織田信長が支配し始め、後の天正年間(1573~1591)には、秀吉が湖上権を掌握し、大津七浦・坂本・堅田・木浜で「大津百艘船」を組織しました。こうして琵琶湖は輸送路としての重要なポイントになっていきます
当時の賑わいが伝わってきますね。
二階の渡り廊下を進むと、昔使われていた道具や家具などが展示してあります。
そこから階段を降りるとちょっと雰囲気がかわります。
囲炉裏のある座敷があって昭和のような雰囲気です。
この部屋なんてまだ使われているような感じで、どこまで入って行ってもいいのか分かりません。
失礼があってはいけないのでこれより奥には行きませんでした。
丸子舟とは、船体の両側に大きな丸太を半割にしたものが付いているために、こう呼ばれるようになったそうです。
この丸太のおかげで風の強い日でも安定して航行ができるのだとか、入り口まで戻って受付のお姉さんにいろいろ質問すると、丁寧にお答えいただけました。
この辺りは、当時の賑わいが嘘のように静かな地域でしたが、春になるとこの先のパークウェイ沿いにある桜を見にくる人で大変にぎわうようです。
また春に来てみたいもんですね。
次回は「メタセコイア並木」です。