仏の顔も三度まで ではないのですが、私は沢山の仏様を描いてきた。
他のテーマとちがってやはり製作時の姿勢が変わり、経を唱え、できることならば現前に出現して欲しいと願うのだが・・。
残念ながら今までに一度たりとのありません。
「エッ!!それでよく仏画を描くなどと言えたものだ」と言われそうだが、私だけの佛の姿を観たことがない、ということです。
仏間や床の間に掛ける法事用の仏画ではなく、もっとリアルなキリスト教絵画の様な仏教世界を描かンとしてきました。
其の大きな原因は、インドからガンダーラ・西域、そして中国の壁画群を観てから、日本仏画には感じない生身の姿に感動した。
私が求めていた様式化された佛ではなく、自由でひと息を感じる仏画世界が展開していたのだ。
「これだ! オレが描きたい仏教世界だ!」と・・。
すでに30年前のことであります。
他のテーマとちがってやはり製作時の姿勢が変わり、経を唱え、できることならば現前に出現して欲しいと願うのだが・・。
残念ながら今までに一度たりとのありません。
「エッ!!それでよく仏画を描くなどと言えたものだ」と言われそうだが、私だけの佛の姿を観たことがない、ということです。
仏間や床の間に掛ける法事用の仏画ではなく、もっとリアルなキリスト教絵画の様な仏教世界を描かンとしてきました。
其の大きな原因は、インドからガンダーラ・西域、そして中国の壁画群を観てから、日本仏画には感じない生身の姿に感動した。
私が求めていた様式化された佛ではなく、自由でひと息を感じる仏画世界が展開していたのだ。
「これだ! オレが描きたい仏教世界だ!」と・・。
すでに30年前のことであります。