私の描く佛の顔は私自身であるといいました。
よく聞くことに、集中していくと「天から降りてくる」などと申しますが、残念ながら私にはそおいう体験はありません。
ただし、製作時など私を観ているもう一人の透徹した顔の姿を感じることがある。
「なにのこっちゃ!」ですが、幽魂離脱ではなく、集中力が最高に充実していくと、すーーと私自身を観ているもう一人の私を上部に感じるのです(残念ながら時々です)。
その時はとっても気持ちがよく、モノがよく観えてくる。
そのような心地良い精神状態で描き出せた顔こそ、私が産み出した佛の顔ではないでしょうか。
とはいっても、何枚も何枚も下絵を制作して、自然に筆が動いてくれてのことですが、それでも本ガキの段になると「こりゃーーアカン。」と。
肝心の目は髪の毛にちい細い線ですが、それだけに変化も大きいのです。
顔こそ感覚が勝負の領域です。
よく聞くことに、集中していくと「天から降りてくる」などと申しますが、残念ながら私にはそおいう体験はありません。
ただし、製作時など私を観ているもう一人の透徹した顔の姿を感じることがある。
「なにのこっちゃ!」ですが、幽魂離脱ではなく、集中力が最高に充実していくと、すーーと私自身を観ているもう一人の私を上部に感じるのです(残念ながら時々です)。
その時はとっても気持ちがよく、モノがよく観えてくる。
そのような心地良い精神状態で描き出せた顔こそ、私が産み出した佛の顔ではないでしょうか。
とはいっても、何枚も何枚も下絵を制作して、自然に筆が動いてくれてのことですが、それでも本ガキの段になると「こりゃーーアカン。」と。
肝心の目は髪の毛にちい細い線ですが、それだけに変化も大きいのです。
顔こそ感覚が勝負の領域です。