もーー2017年も半分になってしまった。
いまさら歳月人を待たずといっても詮無いが、制作をしていない日々は
「俺は何をしているのだろう」と、どことなく不安になる。
若いときよりも「これから何が出来るのだろうか」と、残された時 を思うことがある。
そんな思いもあり次の制作は、と蛇足的に制作に入ったのが
前回の投稿 「花いかだ・朝・夕・夜」の三部作に続き、実験を兼ねて習作をしてものを仕上げていた。
和紙をくちゃくちゃにして、一種の絞り染めのような模様を創り、それを生かしつつ制作を進めていく独自の技法だ。
完成をし生渇きの油彩の状態で写真を撮る。写真-1
ピカッ!!と、フラシッシュをオフにしておかなかった。
ところがモニターでのチェックで「こりゃなんと名画ではないか」と。
水面の輝きがすばらしくいい。写真-2
この輝きを参考にふたたび筆をとり、完成とした。
見出しの作品 風薫る朝 F50 91x127cm
油彩は反射をしてしまうので、ピカッは厳禁でものにならないがこのようなこともあるのだ。
多分生渇きだったので、その部分が特に光ってしまったのだろう。
写真のようには描き出せなかったが、面白い体験だったので記しました。
注・撮影状態は同じではありませんから色は異なる。
いまさら歳月人を待たずといっても詮無いが、制作をしていない日々は
「俺は何をしているのだろう」と、どことなく不安になる。
若いときよりも「これから何が出来るのだろうか」と、残された時 を思うことがある。
そんな思いもあり次の制作は、と蛇足的に制作に入ったのが
前回の投稿 「花いかだ・朝・夕・夜」の三部作に続き、実験を兼ねて習作をしてものを仕上げていた。
和紙をくちゃくちゃにして、一種の絞り染めのような模様を創り、それを生かしつつ制作を進めていく独自の技法だ。
完成をし生渇きの油彩の状態で写真を撮る。写真-1
ピカッ!!と、フラシッシュをオフにしておかなかった。
ところがモニターでのチェックで「こりゃなんと名画ではないか」と。
水面の輝きがすばらしくいい。写真-2
この輝きを参考にふたたび筆をとり、完成とした。
見出しの作品 風薫る朝 F50 91x127cm
油彩は反射をしてしまうので、ピカッは厳禁でものにならないがこのようなこともあるのだ。
多分生渇きだったので、その部分が特に光ってしまったのだろう。
写真のようには描き出せなかったが、面白い体験だったので記しました。
注・撮影状態は同じではありませんから色は異なる。