創作の根っこ
障子戸を利用した、即興的ステンドグラス風なものが舞台に出現する、とでもいいましょうか・・。
それも、興にまかしたアブツトラックな絵ではなく「マンダラ絵」
もういちど申し上げますが、このパフオーマンスは1980年代から90年代にかけて、私の創作の一環として行ったものです。
アトリエで黙々と製作する一方、多数が寄り合ってナニカを創り上げることが無性にしたくなったのです。
といって、美術会のようなところでの動きではなく、もっと直接的な創作欲でした。
パフォーマンスによって収入を得る(有料でした)よりも、ほとんどが持ち出し。
舞台での公演は、アトリエでは決して感じることが出来ない、満足感だった。
それゆえにトントンだったら、経済的には大成功だとおもっていました。
資金を蓄えながらの、マスターベーション的な公演だったのです。
パフォーマンスは私の創作活動の一時期でしたが、ただ今に続いている「私の創作世界」です。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/mam-caos-1.html
写真は神社における「しこみ」風景。
地域おこしの祭りで、観覧してくれた方々から「うちでも・・」と声がかかりましたが、演奏者・照明・PA・などなどと、予算的に問題がありました。
障子戸を利用した、即興的ステンドグラス風なものが舞台に出現する、とでもいいましょうか・・。
それも、興にまかしたアブツトラックな絵ではなく「マンダラ絵」
もういちど申し上げますが、このパフオーマンスは1980年代から90年代にかけて、私の創作の一環として行ったものです。
アトリエで黙々と製作する一方、多数が寄り合ってナニカを創り上げることが無性にしたくなったのです。
といって、美術会のようなところでの動きではなく、もっと直接的な創作欲でした。
パフォーマンスによって収入を得る(有料でした)よりも、ほとんどが持ち出し。
舞台での公演は、アトリエでは決して感じることが出来ない、満足感だった。
それゆえにトントンだったら、経済的には大成功だとおもっていました。
資金を蓄えながらの、マスターベーション的な公演だったのです。
パフォーマンスは私の創作活動の一時期でしたが、ただ今に続いている「私の創作世界」です。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/mam-caos-1.html
写真は神社における「しこみ」風景。
地域おこしの祭りで、観覧してくれた方々から「うちでも・・」と声がかかりましたが、演奏者・照明・PA・などなどと、予算的に問題がありました。