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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
親王、この歌を返す返す読みつゝ、返し、えせずなり
にければ、供にはべりて、よめる 紀有常
ひとゝとせに一たびきます君まてば 宿かす人もあらじとぞ思
(一年に一たび来ます君待つ・貞淑な女なので、宿かす人ではないだろうと思う……女と背の君に、一年に一度だけ気増す貴身待てば、相手選ばぬなりひらの君に、や門貸す女ではないと思うよ)。
「ひととせに…一年に…女と背の君に」「ひとたび…一度…一日だけ」「きます…来ます…気増す」「君…貴身…おとこ」「宿…やど…やと…や門…おんな」「人…女人」「あらじ…ないだろう」。
一年に一たび来ます君待つ貞淑さなので、見知らぬ男に宿貸す人ではないだろうと思う――歌の清げな姿。
一行は、東の国へ逃れゆく場面ではなく、行き場なくただ都近くに戻って来た情況で、天の川という所まで来たとき、この地の人々より差し入れられた酒を、楽しく飲もうと、紀の有常が、惟嵩親王に代わって詠んだ、業平の君のような、浮気な男に七夕姫は宿貸さないでしょうよ。
女人と背の君に、一年に一度だけ気増す、彦星の貴身待てば、なりひらの君に、や門貸す女ではないと思うよ――心におかしきところ。
人々、歌のエロスによつて、酒はさらに楽しく飲めただろう。
心のむなしさは慰めがたい。ゆくべき所はない。天の川という所まで戻ってきて、はたまたどこへ行くのか。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)