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帯とけの枕草子〔十〕山は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。
枕草子〔十〕山は
山は、おぐら山。かせ山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。すゑの松山。かたさり山こそ、いかならんとをかしけれ。いつはた山。かへる山。のちせの山。あさくら山、よそに見るぞおかしき。おほひれ山もをかし、りんじの祭りのまひ人などのおもひ出らるゝなるべし。三わの山おかし。たむけ山。まちかね山。たまさか山。みみなし山。
清げな姿
山は、小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。片去り山こそ、どのようなのかとおかしいことよ。いつはた山。かへる山。のちせの山。朝倉山、よそに見るとおかしい。大比礼山もおかしい、臨時の祭りの舞人などが思い出されるでしょう。三輪の山すばらしい。手向山。待ちかね山。偶さか山。耳成山。
心におかしきところ
山ばは、お暗の山ば。風のような山ば。三つ重なる山ば。子の暮れの山ば。入り絶ちの山ば。見捨てない山ば。末の待ちどうしい山ば。片方去る山ばこそ、どうなってるのかと、おかしいことよ。何時果ての山ば。くり返す山ば。後が背の君の山ば。浅暗ら山ば、よそよそしく見るのがおかしい。大ひれ山ばもおかしい、臨時の祭りの舞人などの、おもひだされるでしょう。三和の山ばすばらしい。手向けの山ば。待ちかねの山ば。たまさかの山ば。見身成し何も聞こえない山ば。
言の戯れと、紀貫之のいう心得るべき「言の心」
「山…行事などの山ば…感情の山ば…山の名は山ばの名と聞いてそれぞれに戯れる」「お…を…おとこ」「くら…暗…迷い…ゆき煩い」「かせ…鹿背…風…たよりない」「かたさり…中途半端で去る…片方が去る」「のちせ…後背…男の山ばが後…めづらしい」「あさ…朝…浅」「見…媾…まぐあい」「おほひれ…雅楽の曲名…大比礼…長い頭巾…大きなおひれ」「ひれ…身のひれ…おとこ」「三わ…三和…見和…三度の和合」「みみなし…見、身成し、聞く耳無し」。
「みわの山」という言葉は、和歌ではどのように用いられてきたか聞きましょう。
万葉集巻第一 額田王 近江国に下る時に作る歌。
三輪山をしかもかくすか雲だにも 心あらなも隠さふべしや
(三輪山をその様に隠すか、空の雲であっても、心あってほしい、隠しさえぎるべきか……三和の山ばを、その様に隠すか、心に湧き立つ雲だけでも、心あってほしい、隠し障るべきか)
近江国に遷都する時、三輪山をご覧になっての御歌。
「雲…空の雲…心に湧き立つもの…情欲、春情など」「なも…てほしい…願い望む意を表す」。
古今和歌集 春歌下 紀貫之 春の歌とてよめる
みわの山をしかもかくすか春霞 人にしられぬ花やさくらむ
(三輪の山をそのように隠すか春霞、人に知られない花でも咲いているのだろうか……三和の山ばを、そのように隠すか、はるが済み、ひとに知られないお花でも咲いているのだろうか)。
「春霞…春が済み…張るが済み」「春…季節の春…情の春」「かくす…隠す…見えない」「人…人々…女」「花…おとこ花」。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改訂しました)