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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
武蔵国と下総国との中にある隅田河のほとりに至りて、宮こ
のいと恋しう覚えければ、しばし河のほとりに下り居て、思
ひ遣れば、限りなく遠くも来にける哉と思詫びて、眺め居る
に、渡守、はや舟に乗れ、日暮れぬと言ひければ、舟に乗り
て渡らむとするに、皆人もの侘しくて、京に思ふ人なくしも
あらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、河のほとりに
遊びけり。京には見えぬ鳥なりければ、皆人見知らず、渡守
に、これは何鳥ぞと問ひければ、これなむ宮こ鳥と言ひける
を聞きて、よめる (在原業平朝臣)
名にし負はばいざ言とはむ宮こどり わが思ふ人は有りやなしやと
歌の詠まれた表向きの事情は、上の詞書から推量するとして、伊勢物語九に物語風に、わかりやすく記されてあるので、それを現代語にして、言の戯れの意味も加えて読んでみよう。
「なお行き行きて(羇旅…後戻りできない旅)、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きな河あり、それを隅田河と言う。その河のほとりに群れ居て、思い遣れば、限りなく遠くに、来たことよと、侘しがっていると、渡し守が、早く舟に乗れ日が暮れてしまうぞと言うので、乗って渡ろうとするときに、皆人、物わびしくて(なんだか侘しくて…何かやるせなく悲しくて)、京に思ふ人なきにしもあらず(京に愛しく思う人がそれぞれ居たのである…絶頂に思う人を残してきたのである)。その様な折に、しろきとりの(白い鳥が…色白の女が)、はしとあしとあかき、しぎのおほきさなる、水の上で遊びつつ、いをゝくふ(魚を食う…井おとこを食う)。京には見えない鳥なので、皆人見しらず。渡守に問えば、これなん宮ことり(これはだなあ都鳥…これはだなあ宮このおんな)と言うの聞いて」、よめりければ(歌を詠んだらしいので)、「舟こぞりて泣きにけり(舟の人みな揃って泣いたのだった…夫根こ、反り返って涙を落したことよ)」
(名に付いているならば、さあ、事を尋ねたい、都鳥よ、わが思う女人は、都で健在かどうかと……汝には感極まっているならば、井さ、こと尋ねたい、いまだ宮こで健在なのか、逝けないのかと)
「すみた河…隅田川…川の名、名は戯れる。澄みたかは、澄んだひと」「河…川…水…女…かは…疑問を表す」「田…女」「とり…鳥…女、神話の時代から、飛ぶ鳥、庭つ鳥、鳴く鳥など鳥の全ては、なぜか女」「いを…魚」「い…井…女」「を…男…おとこ」「くふ…食う…喰う」「宮こどり…都鳥…宮ことり…絶頂のひと」。
「な…名…汝…親しみ込めてわが汝」「おふ…負う…追う…ものが極まる…感極まる」「舟…夫根」「こぞりて…皆な揃って何々する、ここでは舟に乗っている人みな貰い泣きしたか…こそりて…子の君反りて」「なきにけり…泣きにけり…白いなみだ落としたことよ」。
都に残してきた本妻を思う心情――歌の清げな姿。
当時の太政大臣藤原良房と、その養子となった甥の藤原基経と共謀し、その妹藤原高子は将来皇后となり我が子を天皇にするという野望が、業平に見えた時から、この一族に対する、抵抗と恨みつらみを語るのが、伊勢物語である。
愛する妻を、宮こに残し、おのれは、そこから逃れて来てしまったおとこの涙のもの語り――心におかしきところ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)