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帯とけの三十六人撰
四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。
藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。
藤原清正 三首(三)
枝ながら見ゆるにしきは神無月 まだ山風のたゝぬなりけり
(枝についたまま、見える紅葉の錦織は、神無月、まだ山風が吹き始めていないのだなあ……身の枝のまま散らさぬ錦木は、あき過ぎた・かみの尽き、未だ山ばの心風吹きださないなあ)
言の戯れと言の心
「枝…木々の枝…身の枝…おとこ」「見ゆる…目に見える…その様に思える」「見…覯…媾…まぐあい」「にしき…錦織……五色の糸で織られた華やかな織物…錦木…男の思い木…求愛の木」「神無月…旧暦十月・初冬…あきは過ぎたころ…山ば過ぎたころ…かみの尽き」「神…かみ…髪…女」「な…の」「月…つき…尽き」「山風…山場で吹く心風…山ばの荒々しい心風…嵐」
「俊成三十六人歌合」では、次のような歌になっている。
むらむらのにしきとぞ見る佐保山の ははそのもみぢ霧たたぬ間は
(村々の・斑々の錦織とぞ見る、佐保山の柞のもみじ、秋霧立たぬ間は……斑むらの、にしき木とぞ見る、さおの山ばの、飽きの色、きりきりとしめつけはじめぬ間は)
言の戯れと言の心
「むら…村…斑…まだら」「にしき…錦織…錦木」「見る…目で見る…思う…まぐあう」「見…覯…まぐあい」「佐保山…ならの山の名。名は戯れる、さ男山、おとこの山ば」「ははそ…柞…楢など…もみじの色は、黄色、褐色など、薄いとか斑とか言われる」「きり…秋霧…きりきり…締め付ける擬音」「たたぬ…立たない…始まらない」「ま…間…女…おんな」
清正に、同じく微妙な性愛の情況を詠んだ歌が何首かあって、公任と俊成とでは、たぶん撰んだ歌が異なったのだろう。
今では、これらの歌が、季節毎に変わる景色か、その情景の歌とのみ、聞こえるようになってしまった。和歌の「清げな姿」しか見えていない。「心におかし」などとは到底思えない。当然のことながら、公任の歌論も俊成の歌論も理解不能となるので、無視するか曲解するしかない。
『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。
以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。
藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。
清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。
上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。