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帯とけの新撰和歌集
今では、歌の言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされている。藤原公任は、歌に心と、清げな姿と、「心におかしきところ」があるという。それを紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(七十五と七十六)
をしと思ふ心は糸に撚られなむ 散る花ごとにぬきてとゞめむ
(七十五)
(散る花を惜しいと思う人の心は、糸にして撚りをかけてほしい、散る花毎に貫き通して留めてやろう……愛しいと思う心は、糸に撚って、強くしてほしい、惜しくも散り果てるお花毎に、貫き通して留めよう)。
言の戯れと言の心
「をしと思う心…惜しいと思う心…愛しと愛着する心」「よられなむ…撚ってほしい…撚りをかけてもらいたい…出来るなら強くしてほしいものだ」「らむ…相手に望む意を表す」「散る花…果てるおとこ花…愛着執着の対象」「花…木の花…男花…おとこ花」「とどめむ…留めて遣ろう…留めよう」「む…意志を表す」。
秋の野におく白露は玉なれや つらぬきかくるくものいとすじ
(七十六)
(秋の野におりる白露は、宝玉なのかな、貫き掛けている蜘蛛の糸筋……飽きのひら野に贈り置く白つゆは、おとこの魂なのかな、貫き掛けている心雲の糸一筋)。
言の戯れと言の心
「あき…秋…飽き」「野…ひら野…山ばではない」「しらつゆ…白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「玉…白玉…宝玉…真珠…魂」「くも…蜘蛛…巣作りして待つ者…女…神代のそとほり姫の歌、ささがにの蜘蛛の言の心は女…雲…心雲…煩悩…心に煩わしくもわきたつもの…神代のすさのをの尊の歌、八雲たつ出雲の雲の言の心は、心に煩わしくもわき立つもの」「糸筋…糸目…糸のように細いもの」。
春歌は木の花の散り際を詠んで清げな姿をしている。秋歌は蜘蛛の糸に掛った白露を詠んで清げな姿をしている。いずれも、言の心を心得れば、「心におかしきところ」が顕れる。
ついでながら、神代の和歌を聞きましょう。
そとほり姫の歌
わが背子が来べき宵なりささがにの 蜘蛛の振舞ひ予ねてしるしも
(わが夫が来るべき宵よ、あの蜘蛛の巣作りして待つ様子に、予兆があるわ)
絶世の美女衣通姫は帝の寵愛をうけたけれども、姉が后であったので、都を離れて住んでいた。帝の訪問を待ち焦がれて詠んだ歌。蜘蛛は女、衣通姫自身。雲と聞いて、姫の心雲。ささがにの蜘蛛に寄せて、ただ待ち続ける姫自身の様子を詠んだ、弱弱しくもしなやかで強い心雲。小野小町の歌の源流と貫之はいう。
すさのをの尊の歌
八雲たつ出雲八重垣妻ごめに 八重垣つくるその八重垣を
(多くの雲立つ出雲、八重に囲った垣の内に妻を籠らせるために、八重垣を作るぞ、その八重垣を)。
すさのおのみことは、姉の天照大神を困らせるほど乱暴であった、それは心雲の為せる業。出雲に来て妻を娶り暮らそうとしたとき、心に決めたことを詠んだ。心に煩わしくもわき立つものは愛しい妻のように、八重垣の内に籠らせておこうと、人ならば煩悩に相当する厄介なものの扱い方を示された歌。
「くも…蜘蛛…女…雲…心雲…心に煩わしくもわきたつもの…人の煩悩」と心得れば、これらの歌の心が蘇えるでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。