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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首(二百八十五と二百八十六)
月夜には来ぬ人待またるかき曇り 雨も降らなむわびつつもねむ
(二百八十五)
(月夜には来ない人を待ってしまう、空かき曇り雨でも降ってほしい、わびしく思いながらも寝るでしょう……月の美しい夜には、来ないええ男を待ってしまう、かき具盛りお雨でも降っておくれ、思い叶わず空しく思いながらも寝るわ)。
言の戯れと言の心
「月…月人壮士(万葉集の歌語)…壮年の男…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名)…ええおとこ…若く愛しいおとこ」「かきくもり…一気に曇り…掻き具盛り」「雨…涙雨…おとこ雨」「なむ…願望の意を表す」「わぶ…思いが叶わず落胆する…さみしく思う…むなしく思う」「つつ…反復・継続を表す…筒…中空」「む…意志を表す」。
古今和歌集 恋歌五。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、月の夜には来ぬ男を待ってしまう、雨でも降ってくれ月消えれば、わびしく寝るという女。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、月夜には、来ない若い愛しいおとこを待ってしまう、かき具盛りお雨降っておくれ、むなしく寝るというところ。
おそく出づる月にもあるかなあしひきの 山のあなたも惜しむべらなり
(二百八十六)
(遅く出る月だことよ、あしひきの山の向こうでも、此方へ送り出すのを惜しむのでしょう……遅くいだす、つき人おとこだことよ、あゝ、あの山ばの彼方の宮こ、わたしは愛しむでしょうよ)。
言の戯れと言の心
「おそく…遅れて…早くなく…後発ちに」「いづる…(月が山の端から)でる…ものがでる…お雨がふる」「月…壮士…おとこ」「かな…詠嘆の意を表す」「やまのあなた…山の向こう…山の彼方…山ばの彼方…京…宮こ…感の極み…浮き天の身も心も漂うところ」「をしむ…惜しむ…捨てがたく思う…愛しむ…深く愛する」「べらなり…推量を表す」。
今の人々は「月…壮士…男…おとこ…突き…尽き」などと戯れることを知らされていない。従って、月の歌など、清げな姿しか見えていない。心におかしきところがないのに、その程度のものかと思っていて、解釈の不在も自覚していない。ゆゆしい問題であるけれども、今は措いといて、万葉集の月の歌を聞きましょう。
万葉集 巻第六 大伴坂上郎女月歌。
山のはのささらえ壮子天の原 門渡る光見良久し好しも
右一首歌或云、月別名曰佐散良衣壮士也、縁此辞作此歌。
(山の端のささらえ壮士、天の原と渡る光、見らくし好しも……山ばの端の若く愛しいおとこ、女の腹、門わたる照り輝き、見るに良し久しきの好きことよ)。
「山…山ば…絶頂」「ささらえをとこ…月…若く愛しい男」「天…あま…女」「原…腹…身」「と…門…女」「わたる…渡る…およぶ…いらっしゃる…しつづける」「光…月光…男の威光・栄光…おとこの照り輝く魅力…光源氏の光はこれらの意味をすべて踏まえてある」「見…覯…媾…まぐあい」「も…感動・詠嘆の意を表す」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。