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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (257)
是貞親王家歌合によめる 敏行朝臣
白露の色はひとつをいかにして 秋の木の葉をちゞに染む覧
(是貞親王家歌合のために、詠んだと思われる・歌) 藤原敏行(この歌合、詠み人は出席していないだろう)
(白露の色は一つなのに、どうして、秋の木の葉を、千々に染めるのだろう……しら露の色は、ただ一色なのだなあ、どうして、厭きの此の端、お、縮み、背くのだろう・乱)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「白露…草木に降りる露…厭きに送り置くおとこ白つゆ」「いろはひとつ…色は白一色…色情は一過性」「を…対象を示す…なのに…逆接を表す…なあ…感動・詠嘆を表す…おとこ」「秋…季節の秋…飽き…厭き」「木…言の心は男…梅・桜・橘・柳など言の心は男」「葉…は…端…身の端」「ちゞ…千ゞ…多情…多色」「そむ…染める…色付かせる…そむく…離れ離れになる」「覧…見…覯…まぐあう…らん…らむ…だろう(推量を表す)…乱…乱れる…(山ば)荒らし」。
降りた白露の色は一つなのに、どのようにして、秋の木の葉を、千々に染めるのだろう。――歌の清げな姿。(歌合では、講師(読み上げる人)が、感情を込めず、長く延ばしながら、ゆっくりと三度読み上げるのだろう。出席の「聞き耳」ある大人たちは多重の意味を聞き取り楽しむ)
おとこ白つゆの色情は、ただ一つ、一過性なのだなあ、どうして、厭きの此の端、お、縮み、そっぽ向くのだろう・山ば嵐。――心におかしきところ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)