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帯とけの枕草子〔三十三〕七月ばかり
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔三十三〕七月ばかり
七月ごろ、ひどく暑かったので、よろずの所(戸、格子、衣)を開けながら夜も明かすときに、月の頃は、寝て目を覚まして見えると、いとおかし(月がとっても趣がある…つき人おとことってもすばらしい)。やみも又おかし(闇もまた趣がある…止むもまた情趣がある)。あり明(有明けの月…明け方残るつき人壮士)は、はたいふもおろか也(そのうえまた言うも愚かである)。
とっても艶やかな板敷の端近く、新鮮な畳一枚敷いて、三尺の几帳を奥(母屋)の方に押しやったのは、あぢきなき(正当では無いことよ…にがにがしいことよ)、端(庭の方)にこそ立てるべきだった。奥(几帳の後ろ)が気にかかるだろうよ。人はいでにけるなるべし(男は帰ったでしょう…夜中気配のしていた女は出たよう)。うすいろの、うらいとこくて、うへはすこしかへりたる、ならずは、こきあやのつやゝかなるがいとなえぬを、かしらごめに引きてぞねたる(わたしは・薄い色の、裏はとっても濃くて、上は少し裏返っている、でなければ、濃い綾の艶やかなのを、まったく萎えてないのを、頭からすっぽりひき着て寝ている……わたしは・薄い色情の、うらみはとっても濃くて、少し寝返っている、成らずなので、濃い心の綾の艶やかなのが、まったく萎えないので、衣を頭からすっぽり被って寝ている)。香染の単衣、もしくは黄生絹の単衣、紅のひとえ袴の腰紐が長やかに衣の下より引き出たまま被っているのも、まだ身も心も衣も解けたままだからでしょう。そばのかたにかみのうちたたなはりてゆるらかなる程(そばに髪がおり重なりてたっぷりとした程度で)、長さは推しはかられる(ちぢれ髪なもので短くしていた)。何処より立ちこめたのか朝ぼらけにたいそう霧が満ちているとき、そのころ男は・
二藍の指貫に、有るか無きかの色した香染の狩衣、白い生絹に紅が透けるからでしょう艶やかなのが、霧にしっとり湿ったのを脱ぎ垂れて、鬢が少しぼさぼさとなっているので、烏帽子に押し入れている気色も、しどけなくみゆ(乱れて見える…淫らにみえる)。朝顔の露が落ちない先に女に文を書こうと、帰り道の途中でも気がかりで、「をふの下草――(つゆしあれば明かしてゆかむ母は知るとも)」(古歌)など口ずさみつつ、わが家の方に行くとき、そのころわたしは・
格子が上がっているので、御簾がそばにあるのをいささか上げて見ると、起きて行った男も、おかし(かわいく感じられる)、露もあはれなるにや(露もしみじみと感じるのか…白つゆもしみじみと感じるのか)、しばし見つめていて、枕紙の方に、紫の紙を貼った扇が広がったままあり、みちのくに紙の懐紙の、隠すようにしてあるのが、お花か紅か少し色に染まっているのも、几帳のもとに散らばっている。人の気配がするので、被った衣の中から見ると、ほほ笑んで、長押に押しかかって・母(継母)が・居た。恥ずかしがるべき人ではないけれど、うちとけるべき気持ちもないので、ねたうも見えぬるかな(妬ましく見ていたのだわ)と思う。
「こよなきなごりの御あさいかな(こよなく名残り惜しい御朝寝かな)」と言って、簾の内に半ば入ったので、「露よりさきなる人のもどかしさに(朝つゆより先発った男がもどかしくてね)」という。おかしきことを取り立てて書くべきではないけれど、ともかく言い交わす様子は、にくからず(わるい感じではない)。
枕もとにある、あふぎ(扇…合う木)を、わが持っている扇をのばして、かき寄せるが、あまり近くより来るから、どきまぎして引いている。取って見て、うとくおぼしたる事などうちかすめ(ぼんやりと覚えていることなど脳裏をかすめ)、にくらしいわと思ううちに、あかうなりて(明るくなって…顔赤こうなって)、人々の声がして日もさし出たようだ。あさぎり(朝霧…浅限り)の絶え間を見ないうちにと、いそぎつるふみもたゆみぬるこそうしろめたけれ(男が・急いだ文も滞っているのは気がかりなことよ……急いだ夫身もたるんでいるのこそ後ろめたいことよ)。
部屋を出た人(継母)が、いつの間にきたかと文を見つけて、はぎの露ながらおし折たるに(萩の露おりたままおし折った枝に…端木の白つゆながらお肢折ったのに)付けてあるのが、差し出せない。香の紙のよく染みている匂い、とってもいい。
あまりにもはしたない程になるので、出てきて、我が起きた所もこうなのかと思いやられるのも、おかしかりぬべし(母は・おかしかったでしょう)。
言葉は「聞き耳」によって意味の異なる程のもの。言の戯れを知り言の心を心得ましょう。
「月…月人壮士…おとこ」「やみ…闇…止み…果て」「ありあけ…残月…居残る壮士」「霧みちたるに…霧満ちている時に…霧満ちているところで」「に…時を示す…場所を表す」「あさがお…朝顔…浅彼お」「露…おとこ白つゆ」「あふぎ…扇…合う木…おとこ」「萩…端木…おとこ」「木…男…おとこ」。
男が口ずさんだ歌 万葉集 巻第十一 寄物陳思
桜麻の芋原の下草露し有れば 明かして射て去る母は知るとも
(桜麻の芋原の生える下草、露があるので、明かして居てから去る、母が知ろうとも……さくら間の憂腹の下くさ、少しでも白つゆあるならば、明かして射て去れ、母に知られようとも)。
「さくら麻…桜麻…咲くら間…さくら浅」「桜…男木」「ら…状態を表す接尾語」「芋原…う原…う腹…憂腹…満ち足りない腹の内」「下草…下の女」「草…女」「つゆし…少しでも…白つゆが…おとこの色情が」。
宮仕え以前の事。父を亡くした後、里の家での或る朝の様子、登場人物は、わたし、その男、母(継母)。語り手は主語を略して、常にその時の登場人物の立場になって語る。
多様な意味を孕む言葉で、その複数の意味を生かして、事情の清げな姿も、心におかしきところも語っている。
今の学問的な読み方は、言葉から適当でないと判断した意味を除き、正当と判断した一義な言葉で文を辿っていく。清げな姿のみ見えて、よく趣旨が伝わらないでしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による