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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
紀貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、大空の月を見るように、古を仰ぎて、今の歌を恋しくなるであろう」と仮名序で述べた。原文は「うたのさまをしり、ことの心をえたらむ人は、おほそらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも」とある。「うたのさま」を「歌の様」と聞き「歌の有様」、「ことの心」を「事の心」としか聞えなくなったならば、貫之の歌論の主旨は伝わらいばかりか、歌論でさえなくなる。
近世の国学、近代以来の国文学も、貫之の歌論を曲解し無視して、古典和歌の解釈を行い、其れが常識として今の世に蔓延っている
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (311)
秋の果つる心を、龍田河に思やりてよめる 貫 之
年ごとにもみぢ葉ながすたつた河 みなとや秋のとまりなる覧
(季節の・秋の果てる心を、龍田川に、思いをはせて詠んだと思われる・歌……厭きの果てる心を、多情おんなに、思いをはせて詠んだらしい・歌) つらゆき
(毎年、もみぢ葉流す龍田川、湊は、季節の・秋の泊り所なのだろうか……疾し毎に、も見じ端流す、多っ多おんな、身な門は、おとこの・厭きの留まりどころなのだろうか・乱)
「とし…年…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「もみぢ…秋の色…も見じ…見るつもりなし」「見…覯…媾…まぐあい」「みなと…湊…水門…身な門…おんな」「秋…季節の秋(国文学は、この意味に限定し、そこから脱却できそうにない)…飽き…厭き」「覧…らむ…らん…見…嵐…乱」。
年毎に、もみぢ葉流す龍田川、湊は、季節の秋の泊り所なのだろうか――歌の清げな姿。
早過ぎるおとこの果て毎に、も見じ端を流す、多情のおんな・断ったかは?身の門は、厭きの溜まりだろうか・乱れている――心におかしきところ。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (312)
長月の晦日、大井にて、よめる
夕づくよをぐらの山になく鹿の 声のうちにや秋は暮るらむ
(晩秋九月の晦日、大井にて詠んだと思われる・歌……長突きの果て、大いなるおんなにて、詠んだらしい・歌)つらゆき
(夕月夜、小倉の山で鳴く鹿の、声するうちに、季節の秋は暮れゆくのだろうか……夕方の尽きよ、小暗い山ばで泣くめす肢下が、小枝のうちにや、厭きは来たのだろう)。
「月…月人壮士…男…おとこ…突き」「大井…地名…名は戯れる。大いなるおんな、多情なおんな」「井…おんな」 「にて…場所を表す…原因理由を表す」。
「しか…鹿…めす肢下…雄鹿はさを鹿という」「声…小枝…小おとこ…薄情なおとこ…情の少ないおとこ」「秋…飽き…厭き」「くる…暮る…果てる…来る」。
夕月夜、小倉の山で鳴く鹿の、声するうちに、季節の秋は暮れゆくのだろうか――歌の清げな姿。
夕方の尽きよ、小暗い山ばで泣くめす肢下が、おとこ小枝を内にしてや、厭きは来たのだろう――心におかしきところ。
二首は、早過ぎるおとこのさが、乱れ、泣く、おんなの情態を詠んだようである。、
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)