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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首 (百二十七と百二十八)
五月まつ花たちばなの香をかげば むかしの人の袖の香ぞする
(百二十七)
(五月を待ち咲く花橘の香をかぐと、むかし親しかった女の袖の香りがする……さ突き待つ、端立ち花の香をかげば、むかし裏切った男の身の端の香りがするぞ)。
言の戯れと言の心
「さつき…五月の異名…名は戯れる、さ月人壮士、さ突き」「さ…美称…接頭語…小」「花たちばな…花橘…夏に白い花が咲く…木の花…おとこ花」「はな…花…端…先」「むかし…昔…以前…元」「人…女…男」「そで…衣の袖…香をたきしめた袖…身の端…おとこ」「ぞ…強く指示する意を表す…(男の恨み心を)強く指示する」。
深山には霰ふるらし外山なる まさきのかづら色つきにけり
(百二十八)
(深山には、霰が降っているようね、里山にある真さきの葛、色づいたことよ……深き山ばでは、粗々しく荒らぶり振るらしい、さとの山ばにある、真幸きの且つら、色尽きたことよ)。
「みやま…深山…深い山ば…見山ば」「見…覯…媾…まぐあい」「あられ…霰…粗れ…粗雑に…荒れ…荒っぽく」「ふる…降る…振る」「とやま…里山…と山ば…女の山ば」「と…門…女」「まさきのかづら…真さきの葛…常緑の蔓性の植物の名、名は戯れる、真幸きの且つら、真の幸い尚も又」「さき…さきはひ…幸」「かつら…葛…且つら…なおそのうえに」「ら…情態を表す」「色…色彩…色情…色欲」「つきにけり…(普通は色付いたりしないのに)そうなったことよ…(常にはない)尽きが来たことよ…情は萎えたことよ(女の恨み心が示されてある)」。
歌の清げな姿は、夏の橘の香にむかしの人を思う心と、里山の蔓の珍しく冬枯れた風情。
和歌は唯それだけではない。歌の心におかしきところは、両歌とも、浮言綺語のような歌言葉の戯れに顕れている、男女の愛憎のうち憎む心。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。