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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視して、新たに構築された解釈方法で、砂上の楼閣である。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せば、今では消えてしまった和歌の奥義が、言の戯れのうちに顕れる。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (138)
(題しらず) 伊勢
五月こば鳴きも古り南郭公 まだしきほどのこゑをきかばや
伊勢(古今集女流歌人の代表。宇多天皇、後に、敦慶親王に寵愛された)
(五月には、鳴くのも馴れて古びるでしょう、ほととぎす、未熟なときの声を、聞きたいわ……早尽きには、泣くのも盛り過ぎるわよ、ほと伽す女・且つ乞うおんな、未だその時でない小枝を、利かせて欲しいの)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「五月…さつき…さ突き…早尽き」「さ…接頭語…美称…小…早」「鳴き…泣き」「ふり…古り…古るびる…衰える」「南…なん…なむ…強く指示する…でしょうが」「郭公…ほととぎす…鳥…言の心は女…鳥の名…名は戯れる」「まだしき…未だしき…未だその時期にではない…完全ではない…未熟な…使い古しではない…尽きていない」「こゑ…声…小枝…身の枝」「を…おとこ」「きかばや…聞きたい…聞かせて欲しい…効かせて欲しい」「ばや…自己の願望を表す」。
さつきには南方より来るのか、山に隠れているのか、ほととぎすよ、早く里に来て、初声聞かせてよ。――歌の清げな姿。
早尽きには、泣くのも衰えるわ、ほと伽す・且つ乞う女、未だ尽きない時の小枝、利かせて欲しい。――心におかしきところ。
よの女性の心に思うことを言い出した歌。更衣女房女官下女たち皆共感しただろう。歌の「心におかしきところ」は、女たちを、慰め、時には「をかし」と笑わせ、和ませただろう。それには、「莫宣於和歌(真名序)」和歌より宜しきものはない。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)