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帯とけの枕草子〔八十三〕職の御曹司に(その一)
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔八十三〕しきの御ざうしに
職の御曹司におられる頃、西の廂の間にて、不断の御読経が行われていて、仏の画像などをお掛けして、僧たちが居たのは当然である。二日ばかりして、縁側のもとに、あやしい者の声で、「猶かの御ふくおろし侍なん(やはり、その御服のおろしを下さい…やはり、その御仏供のおろしを下さい…汝お、その身夫具のおろしを頂きたいのよ)」というと、「いかでか、まだきには(どうしてだ、まだその時ではないのに)」と僧が言うので、何を言っているのだろうかと立ち出て見ると、なまおいたる女法師(生半可に老いた女法師)が、ひどく煤けた衣を着て、さるさまにていふなりけり(そんなふうに言っていたのだった…猿楽のように言っていたのだった)。「かれは何事いふぞ(それは、何のことを言っているのか)」というと、女法師は声をつくろって、「ほとけの御でしにさぶらへば、御ぶぐのおろしたべんと申を、この御ぼうたちのをしみたまふ(私は・仏のお弟子でございますれば、御ふく(法衣)のお下がりを給わりたいと申すのを、このお坊さんたちが惜しまれるのです……ほと毛の身出子でございますれば、御夫具の下ろし、食べようと申すのを、このご棒立ちの惜しみ給う)」と言う。はなやぎみやびかなり(華やいで雅やかである……表面は装って心におかしきところがある言い方である)。このような者は、ただ嫌がったりするのはあわれである。
いやに華やいでいるなということで、「こと物はくはで、たゞほとけの御おろしをのみくふか、いとたふとき事(他の物は食べないで、ただ仏のお下がり物だけを食べるのか、たいそう尊いこと……他の物は食わず、ただ、ほと毛の身下がりものだけを食うのか、とっても尊いことだねえ)」というと、こちらの気色を見てとって、「どうして、他の物を食べないことがありましょうか。それがございませんからこそ、とりあえず申したので」というので、果物、平餅などを物に入れてとらせたところ、むやみに仲良くなって、よろずのことを語る。
若い女房たちも出て来て、「男はいるの、子はいるの、どこに住んでいるの」など口々に問うと、をかし事(心におかしいと感じさせる言)や、そへごとなど(好色なことを添える物言い)をするので、「歌はうたうのか、舞いなどするか」と、問いも終わらぬうちに、「夜は誰とか寝ん、常陸国の介と寝ん、寝たる肌よし……夜は誰と寝よう、肥たちの出家と寝よう、寝ている肌好し」と歌う。この末(歌詞)はたいそう多いようである。
また、「をとこ山の、みねのもみぢ葉、さぞなはたつや、さぞなはたつや(男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや……男やまばの峰の色づいた端、さぞ評判がいいや、さぞ汝は立つや)」と、かしら(頭…もののかしら)を回し振る。ひどくみにくいので、わらひにくみて(笑い貶して)、「いねいね(去れ去れ)」と女房たちが言う。「いとほし(かわいそう…いじらしい)、このものに何をあげましょうか」と言うのを、宮・お聞きになられて、「ひどく片腹いたい芸をさせてしまって。聞かないで耳を塞いでいましたよ。その衣を一つ与えて、すぐに送り出しなさい」と仰せになられるので、「これを賜わせられる。衣が煤けているようよ白くして着なさい」と投げ与えれば、伏し拝んで、(白いものを)肩にかけて舞うことよ。まことに醜くてみな内に入った。
後に、なれなれしくなったか、常に目立つようにうろつく。そのうち、ひたちのすけ(常陸の介…日経ちの出家…老いた女法師)と名を付けた。衣も白くならず同じ煤けたのだったので、あれはどこへやったのだろうかなど、にくらしく思う。
右近の内侍が参上したので、「このような者を、女房たちは語らい手なづけて置いているようなの、隙を見ては常に来るのよ」と、その有り様を、小兵衛という女房に真似させて、お聞かせになられると、「彼女をなんとしても見たいものですわ、必ずお見せくださいね。お馴染みさんでしょうから、そのうえ、よもや私どもが騙り取ったり致しませんわ」、などわらふ(などと笑う)。
その後、また、尼の乞食のずいぶん品のよいのが出て来たが、また呼び、出て行ってものなど言ったが、この尼はたいそうきまりわるそうに思えて、哀れなので、例の衣をひとつ与えたところ、伏し拝むのはいいとして、そうして、泣き出して喜んでいるのを、ほかでもない、「ひたちのすけ」がやって来て見ていたのだった。その後、久しく見かけなかったが、だれが思い出そうか。
言の戯れと言の心
「御ふく…御服(法衣)…御ぶく…御仏供(お供えの食物)…みぶぐ…身夫具…おとこ」「さるざま…然る様…戯る様…猿楽風…好色なことなどを巧みに笑いに転じる類いの話芸…里の家には時々訪れるのでとり入れて聞く門づけ芸人のわざ」「おろしたべん…おろし給べむ…おろしくださる…おろし食べむ…おろし食べよう」「たぶ…食べる…食らう…くわえる…身に受ける」「このごぼうたち…この御坊達…子のご棒立ち…おとこ」「ほとけ…仏…ほと毛」「ほと…陰…おとこ」「かしら…頭…もののかしら」「白…おとこの色」「ひたちのすけ…あだ名…複数の意味を孕んでいてこそおかしいあだ名…常陸国の介…肥だちの出家…よく肥えた僧…日経ちの出家…生半可に老いた出家…なま老いたる女法師」。
「みふく」は、まさに「聞き耳異なる言葉」。乞うているのは、服か食物か身夫具か、正しい意味を一つ見つけるというのではなく、多義のまますべて受け入れる。
服(法衣)のお下がり頂きたいというのは「清げな姿」、本意は食べ物でしょう。「身夫具をたべむ」は添えた「心におかしきところ」。「ほとけの御おろしをのみ食ふか」という問いの「清げな姿」だけではなく、仏を、ほと毛と聞く「心におかしきところ」も通じたので、仲良くなった。
表現方法が同じ文脈にあるので、みやびやか。この話芸の源は和歌にある。古今和歌集真名序に「乞食の客、此れをもちて活計の謀りと為す」とある、此れとは、古今集編纂以前の或る時代に、色好みと化した和歌のこと。
「いねいね…去れ去れ」は、ひたちの介の演技が次第に卑猥となったことに対する女たちの反応。
内裏の外、職の御曹司へお出になられた(出された)おかげで、このような者に出会えた
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による