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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
但馬国の湯へまかりける時に、二見浦と言ふ
所に泊りて、夕さりのかれいひ賜べけるにあ
りける人々、歌よみけるついでに、よめる
藤原兼輔
夕つく夜おぼつかなきを玉匣 ふたみの浦はあけてこそ見め
(但馬国の湯へ出かけた時に、二見浦と言ふ所に泊って、夕方が来て乾飯を頂いたときに、共にいた人々が歌詠んだついでに、詠んだと思われる・歌……たじ間のせかいにいった時に、二見のうらと言うところに、とどまって、夕食に乾飯を頂いたときに、共にいた人々、歌を詠んだついでに詠んだらしい・歌)ふじはらのかねすけ
(夕方に精魂尽きたよ、おぼつかないので、たまくしげ二見の浦は、夜が明けてから見物するつもりだ……暮れ方の月人おとこ精根尽き、おぼつかないので、玉くしげ二見する心は、夜が明けてからだなあ、見せるつもりだ)。
「たじまの国…但馬の国…国の名…名は戯れる。多肢間、多路間…多情なおんな」「二見…所の名…名は戯れる…二度見」「見…覯…媾…まぐあい」。
「夕つく夜…夕方に尽きたよ…月人おとこ尽きたよ」「おぼつかなきを…ぼんやりとしている…頼りない感じのおとこ」「を…ので…おとこ」「たまくしげ…匣…櫛箱などの美称…開くものの美称」「二見の浦…所の名…名は戯れる。二度見…おとこの苦手なこと」「浦…裏…心」「あけて…開けて…明けて…(夜が)明けて」「見め…見るつもりだ…見物するつもりだ…見るつもりだ」「め…む…つもりだ…意思を表す」。
夕方に精魂尽きたよ、頼りない感じなので、たまくしげすばらしい二見の浦は、夜が明けてから見物するつもりだ――歌の清げな姿。
治る見込みのない湯治の旅も、ゆきゆくだけの、羇旅なのだろう。
暮れ方の月人おとこ、精根尽きて、おぼつかないので、玉くしげおんなの二見の裏は、夜が明けてからだなあ、見るつもりだ――心におかしきところ。
普通でも、二見の裏など、ままならないのに、精根尽き、元には戻らないたことを自覚したおとこの悲哀。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)