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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (278)
是貞親王家歌合の歌 よみ人しらず
色かはる秋のきくをばひとゝせに ふたゝびにほふ花とこそ見れ
(是貞親王家の歌合に提出したと思われる・歌) 詠み人知らず・匿名で詠まれ歌合に提出された女歌として聞く
(色彩かわる秋の菊をば、一年にふたたび咲きほこる女花と見て思う……色情たち替わる飽きのわが奇具をば、女と背の君のために、再び咲き匂うおんな花と思うの・見るわ)
「色…色彩…色情)「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「きく…長寿の女花…きぐ…貴具…貴い具…奇具…奇妙な具」「こそ…強調する…(そういう女花)である」「見る…思う」「見…覯…覯…まぐあい」。これらは、俊成のいう「浮言綺語に似た戯れ」である。
色彩変わる秋の菊をば、一年に二度咲く、長寿な女花とよ、見て思う――歌の清げな姿。
女と夫君のために、女花は再び咲き匂う、これこそ長寿の花と思う・二見が心(うら)こそ夫婦の絆、見るわ――心におかしきところ。
心におかしきところのエロスは、「艶」とも「あはれ」とも聞こえるだろう。女の「煩悩」ながら表現した時、俊成のいう通「即菩提」なのだろう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)