私も民謡人生をもう7年半年歩んできた 思えばすごい民謡人と出会ってきたものである 私は一人で民謡の道を歩んでいたので上下関係がわからなかった 今、考えてみると私のようなずぶ素人が話掛けられるような、そんな身分じゃなかった そう、私は今まで数々の素晴らしく歴史に残ってゆくような民謡人に遠慮もなく声を掛けさせていただいたのであった その光景は、もしかしたらお弟子さんから歩まれていた方にとっては、大変に常識知らずに見えていたのかもしれない だが運が良くも、歴史に刻まれるであろう素晴らしき民謡人は私の笑顔を見詰め喜んでくださったのです
そんな幸運が私を突き動かし、夢の民謡コンサートを起こすまでになったのでしたが(2年前、お祝いコンサート) 今となってみれば、その輝かしいメンバーも転勤されたりと移動となってしまいました(何名かですが) 同じ日本に住んではいますが私は寂しいのです その方達が中国地方にお住まいの頃には、大会になれば再会することが出来ていて私はその日が待ち遠しかった 私は、尊敬して止まない仲間の唄を観覧席にて聴いていたり、擬音や合いの手を喜んで手伝っていたものだった。 そんな身近であった仲間はもう遠くへ行ってしまいました。 そして、そこから学んだものがあります
尊敬している人は、いつまでも身近には存在しないということ。 つまり出会って何かを感じているその時がまさに最も幸せな瞬間なのでございます 幸せはいつまでも待ってはくれません。 極端に言えば、それが最初で最後の出会いになる可能性だって常にあるのです。 私だって全ての仲間と仲良くずっと民謡道を歩めるほど世の中は甘くはありません 全ての民謡仲間に常に平等に接してゆくことは不可能ですし、もちろんのこと疎遠になってゆく仲間も存在するのが世の常だと最近、感じております。 この間、貝殻節大会にて私は何枚もの和楽の会民謡の名詞をお渡ししました。
菅笠節大会や音戸大会の時も同じです。 そんな多くの民謡人の中、私にお手紙を下さった方がた4名ほどいらっしゃいました 音戸2通 貝殻節2通 合わせて4名の方々です 本当に有り難いですね 私を民謡仲間として必要としてくれているからだと私は感じました。 その方々は、私に一石投げてくださったのです 民謡愛の石をです その思いを私は大事にしたいと思います。 日本のどこかで私の民謡を少しでも求めてくださるどなた様かがきっといらっしゃる。 優勝もしたことのない私の唄や三味線を・・ それでも聴きたいと願ってくださる人が、この日本のどこかに生きて存在しているのです(嬉しいのです)
この間の貝殻節全国大会時にも表彰式を終えて観覧席に戻りますと、鳥取県は地元にお住まいの70代くらいの女性の方が母と楽しそうに談笑されておりましてね・・ 何を話しているのかなって少し気になっていたのですが。 私の横に来てくださりましてね・・ 「わたしゃーねぇ 表彰式の最後の最後まで信じていたんよ」 え 「何をですか」 するとご婦人は信じられない言葉を発せられた
「私はあなたが優勝する思うて最後まで信じてたんよ」
えーーー 嘘でしょーーー アンビリーバボー と感じながらも私は心の中では、とっても嬉しかった 実は自分では、細かな節回しでお手本通りに唄えなかったので、上位は無理なことくらいはわかってはいた だが、まさか地元の観覧者さんから、そんなに高い評価を頂けるなんて驚きで、とっても光栄だった。 ご婦人はこうも言った 「ただちょっと残念なのはねー あなたの唄には残念ながら鳥取の匂いがしないのよ」 「鳥取の民謡は地元の方が有利だと思うわ」 「けれどもね、あなたの声は特別素敵だったわよ よく声が通るし私は大好きだったわ これからも頑張ってね」 今まで7年もの間、色々な大会に出場してきたけれども、これだけ観覧者さんから高い評価と感激を聞けたのは初めてであった。 私は、鳥取を忘れない。 鳥取ありがとう 私を認めてくださった鳥取を愛しています 本日もご拝読、誠にありがとうございました
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いつも和楽民謡ファンの皆様 音楽ランキング絵柄のクリック 誠にありがとうございます 私はこれからも民謡を通じ頑張って参りますのでブログを通じてご一緒によろしくお願い申し上げます だんだん
そんな幸運が私を突き動かし、夢の民謡コンサートを起こすまでになったのでしたが(2年前、お祝いコンサート) 今となってみれば、その輝かしいメンバーも転勤されたりと移動となってしまいました(何名かですが) 同じ日本に住んではいますが私は寂しいのです その方達が中国地方にお住まいの頃には、大会になれば再会することが出来ていて私はその日が待ち遠しかった 私は、尊敬して止まない仲間の唄を観覧席にて聴いていたり、擬音や合いの手を喜んで手伝っていたものだった。 そんな身近であった仲間はもう遠くへ行ってしまいました。 そして、そこから学んだものがあります
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菅笠節大会や音戸大会の時も同じです。 そんな多くの民謡人の中、私にお手紙を下さった方がた4名ほどいらっしゃいました 音戸2通 貝殻節2通 合わせて4名の方々です 本当に有り難いですね 私を民謡仲間として必要としてくれているからだと私は感じました。 その方々は、私に一石投げてくださったのです 民謡愛の石をです その思いを私は大事にしたいと思います。 日本のどこかで私の民謡を少しでも求めてくださるどなた様かがきっといらっしゃる。 優勝もしたことのない私の唄や三味線を・・ それでも聴きたいと願ってくださる人が、この日本のどこかに生きて存在しているのです(嬉しいのです)
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「私はあなたが優勝する思うて最後まで信じてたんよ」
えーーー 嘘でしょーーー アンビリーバボー と感じながらも私は心の中では、とっても嬉しかった 実は自分では、細かな節回しでお手本通りに唄えなかったので、上位は無理なことくらいはわかってはいた だが、まさか地元の観覧者さんから、そんなに高い評価を頂けるなんて驚きで、とっても光栄だった。 ご婦人はこうも言った 「ただちょっと残念なのはねー あなたの唄には残念ながら鳥取の匂いがしないのよ」 「鳥取の民謡は地元の方が有利だと思うわ」 「けれどもね、あなたの声は特別素敵だったわよ よく声が通るし私は大好きだったわ これからも頑張ってね」 今まで7年もの間、色々な大会に出場してきたけれども、これだけ観覧者さんから高い評価と感激を聞けたのは初めてであった。 私は、鳥取を忘れない。 鳥取ありがとう 私を認めてくださった鳥取を愛しています 本日もご拝読、誠にありがとうございました
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