人間は誰でも失敗をします 失敗にも色々な種類があります
1.心が乱れ失敗を招くケース
2.慎重さが足りず失敗するケース
3.果敢に挑み失敗してしまうケース
私は、どれかを選べるとしたなら・・ 果敢に挑み失敗をしたい・・ もしかしたら、今の私はそれなのかもしれません。 春のコンサート計画は、まさしくそれでした。 失敗するのか成功するのかなどはやってみないとわかりませんが・・ 私が一番嫌なのは・・ 何かを恐れ挑戦を避けることなのです。 果敢に挑み・・ 万が一、失敗したとしても・・ そしてそれを誰かが責め立てようとしても・・ それらをすべて飲み込む勇気がないことには、何も始まりません。
こんなことを言うのも大げさなんですが・・ 僕は命を賭けてるといっても過言ではないのです。 僕にとってこのイベントへの挑戦は自分がこれまで生きてきた集大成を問うものとなると思っております。 私という人間の評価がここで決まります。 もちろん、お金を最も多く賭けるのも私でありますが・・ だから偉いなんて全く思ってるわけではなく・・ 誰かが踏み切らないと何も始まらないのです。
私には、たくさんの出演者の皆様と約束を交わしました。 ですのですでに大きな責任が自分の肩に掛かってきております。 しかしそれと同時に・・ 私には信じられない民謡人が力を貸そうとしてくれていることに私自信が驚いているのでございます。 いったいどこの誰が・・ ボランティアのコンサートにこれほどまでに集まってくださるのでしょうか・・ もしも・・ それがあなただったら・・ 参加したいでしょうか?
儲かる話では一切ないんです。 ボランティアなんです。 ただただ生誕80年のお祝いをみんなの力で心を合わせて祝福を致しましょうという・・ それだけの為に・・ 全国から集結してくださるわけなんです。 本当は、本当は!! もっともっと出演者を呼びたかった!! 無理だと思っても・・ お誘いしたかった出演者は、何人も私の頭や心の中にいました。 隠岐の島の夢先生や・・ 栃木の桜さん・・ 千葉のゆりさん・・ でも・・ 私には資金が限界だったんです
それでも・・ それでも・・ 駄目だと思ってお誘いした方でも・・ 信じられないことに出演を受けてくださいましたー この力っていったい何なんでしょうか 民謡だからこそできる力なのではないでしょうか 民謡って世界は・・ 見る人によって十人十色だとは思いますけれども・・ 私に見える民謡の世界ってのは・・ 素人とプロの間にあまり大きな温度差は感じません。 私はそこが最も好きなところなんです
しかも、私の中では・・ すぐれたプロであるほど・・ 素人の僕らを大切に一人の人間として接してくださいます。 そういったプロの方は、優れた心の持ち主であると私は思っております。 心が優れているから、素晴らしい心の民謡が唄えたり、演奏できたりするのだと理解しております 自分が出せる今の金額は、最高でたったの40万円までが限界です
42歳にもなって・・ たったの40万円が限界だなんて 皆さんおかしいと思われる方も多いと思いますが・・ 人には皆、事情というものがございます 42年を生きてきて・・ 自分の夢は何かと問われたら・・ 生きて死ぬるまでには一度は自分が主催をしてコンサートを開いてみたい これがもし叶えば・・ 私は色目ないと良いと考えます。 自分の人生に悔いは一切ありません。
私は民謡に救われた一人です。 40から民謡に救われ・・ 赤田先生に救われ・・ 仲山先生に救われ・・ 和楽の仲間に救われ・・ 多くの依頼をした出演者の方々に今、救われております。 その中の一人の民謡人が・・ この間、私に1通のメルをくれまして・・ 「自分は春のコンサートのためにはできることは協力しますから遠慮せずになんでも言ってくださいね」と・・ 男なのに涙が出て・・
不思議ですね・・ 一番キツイ時にそんなことを思ってくれてる仲間がいるってこと・・ キツクはない時であれば・・ ありがとうで済みますが・・ その一言がどれだけ私の心を救ってくれたことなのかは・・ 私にしかわからないことであります。 友人が一番神経をとがらせている状況をきっと想像してたのでしょう・・ そんな時こそ・・ この人は生涯の友だと確信した
信じられる友って・・ 皆さんにいらっしゃいますでしょうか? 実は私は嘘は大嫌いですので正直に言いますが・・ 信じられる友って・・ 全てを信じられるという友なんておりません。 そこまで深くお付き合いをしておりませんし・・ その相手の民謡人は、私のことをどう思ってるのかなど私には全くわかりません。 けれども、私は、その方を尊敬しております。 それでいいんです。 相手の思いは相手に任せます。
私の心が好きになる民謡人・・ それは滅多にないことです。 自分の心の審査は厳しいです。 自分は自分には甘いのにです(笑) プロ、アマを問わず人間を見ます。 ですので例えばアマチュアで技術がなくっても心が優れている方などはたくさんいらっしゃいます。 そういった方には話かけたくなるのです。 プロの場合は、優れた人間性を保つのは難しいと考えます。 なぜならば、プロというだけでも人が一目も二目も置いて接してくるからです。
ここで話が全く変わりますが・・ 私の亡くなったおばあちゃんの話に移ります。 私はおばあちゃんが大好きでした。 おばあちゃんは・・ 父(息子、長男、男一人に女は2人・・ 弟は8才の時に海で溺れて死亡)が先に亡くなってしまい・・ ショックで寝込んでしまい・・ 2年後に亡くなってしまいました。 もう10年も前のお話です。 僕はおばあちゃんから素晴らしいことを学んだのです。
ある日、おばあちゃんと言い合いになってしまった時のことです。 おばあちゃんは、僕が孫だからというのもあったと思うけれども・・ 僕が一生懸命におばあちゃんに強く主張をした時に おばあちゃんが本気で言ったんです 「 ゆうじ、あんたがそれだけ一生懸命になって言うんだから・・ あんたが正しいよ 」 普通だったら・・ あきれてケンカを投げる時に言いそうなセリフでありますが おばあちゃんは違います。
僕が真剣になって主張することを本気で信じようとしてくれたように僕には思えたんです。 おばあちゃんは亡くなってしまいましたので真相は今でもわかりません。 けれども、それを言われた僕は、一瞬で怒りというか・・ 逆に自分が情けなくなってしまっていたんです。 おばあちゃんに吐いた暴言のような主張が大人げなく自分の心に罪悪感として残ってしまったのでした その時、僕はおばあちゃんには一生勝てないということを悟ったのでした
おばあちゃんは、自ら綺麗に言い合いを引き見事に戦いを終わらせ・・ 相手に降伏させたのでした 私はその時におばちゃんの技を学びました もちろん私に厳しい時代を這い上がって生きてきたおばちゃんの技を身につけることが出来た訳ではありません。 けれども、私は人の怒りに自分が乗れば それは自分の負けを示すのだと理解できたのです。
もちろん、このことは、私独特の哲学です。 本当に強い者は、相手の怒りに乗りません。 怒りに乗っかると冷静な判断ができず・・ 結果・・ 暴走してしまう危険性があるからなのです。 そしてすぐに怒る人間は心が弱いと判断します。 心が強い人間はすぐに怒ったり感情をぶつけてはこないからです。 つまり人間は心の在り方がすべてを左右すると考えます。 おばあちゃんは、一瞬にして自分の怒りを沈め私に同調したんです。 この技はなかなかできるものではないと私は思いました。
でも人間は難しいです。 皆それぞれ自分が最も正しい標準な人間であると信じている人が多いからです。 自分が変人であると思ってる人などいないと思います。 私はよく人から変わっていると言われます。 だから主催者になったのだとも思います。 普通の人であれば・・ これだけの経費を自分一人で抱えようとは考えはしないでしょう。 でも私にとってこの使うお金の価値は無限大です
これほどに生きたお金の使い方は、私の生涯で最初で最後となるやもしれません どんなに喜んで動き周るだろう 私のお金達よ あともう少し待っててね いっぱい いっぱい 走り回らせてあげるからね お金を使えるという喜び まるで大切な娘を嫁に出す気分でございます
人気ブログランキングへ 一生懸命働いたお金が活きようとしている喜び 春のコンサートのために使ってあげられるお金達は幸せものでございます
1.心が乱れ失敗を招くケース
2.慎重さが足りず失敗するケース
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私は、どれかを選べるとしたなら・・ 果敢に挑み失敗をしたい・・ もしかしたら、今の私はそれなのかもしれません。 春のコンサート計画は、まさしくそれでした。 失敗するのか成功するのかなどはやってみないとわかりませんが・・ 私が一番嫌なのは・・ 何かを恐れ挑戦を避けることなのです。 果敢に挑み・・ 万が一、失敗したとしても・・ そしてそれを誰かが責め立てようとしても・・ それらをすべて飲み込む勇気がないことには、何も始まりません。
こんなことを言うのも大げさなんですが・・ 僕は命を賭けてるといっても過言ではないのです。 僕にとってこのイベントへの挑戦は自分がこれまで生きてきた集大成を問うものとなると思っております。 私という人間の評価がここで決まります。 もちろん、お金を最も多く賭けるのも私でありますが・・ だから偉いなんて全く思ってるわけではなく・・ 誰かが踏み切らないと何も始まらないのです。
私には、たくさんの出演者の皆様と約束を交わしました。 ですのですでに大きな責任が自分の肩に掛かってきております。 しかしそれと同時に・・ 私には信じられない民謡人が力を貸そうとしてくれていることに私自信が驚いているのでございます。 いったいどこの誰が・・ ボランティアのコンサートにこれほどまでに集まってくださるのでしょうか・・ もしも・・ それがあなただったら・・ 参加したいでしょうか?
儲かる話では一切ないんです。 ボランティアなんです。 ただただ生誕80年のお祝いをみんなの力で心を合わせて祝福を致しましょうという・・ それだけの為に・・ 全国から集結してくださるわけなんです。 本当は、本当は!! もっともっと出演者を呼びたかった!! 無理だと思っても・・ お誘いしたかった出演者は、何人も私の頭や心の中にいました。 隠岐の島の夢先生や・・ 栃木の桜さん・・ 千葉のゆりさん・・ でも・・ 私には資金が限界だったんです
それでも・・ それでも・・ 駄目だと思ってお誘いした方でも・・ 信じられないことに出演を受けてくださいましたー この力っていったい何なんでしょうか 民謡だからこそできる力なのではないでしょうか 民謡って世界は・・ 見る人によって十人十色だとは思いますけれども・・ 私に見える民謡の世界ってのは・・ 素人とプロの間にあまり大きな温度差は感じません。 私はそこが最も好きなところなんです
しかも、私の中では・・ すぐれたプロであるほど・・ 素人の僕らを大切に一人の人間として接してくださいます。 そういったプロの方は、優れた心の持ち主であると私は思っております。 心が優れているから、素晴らしい心の民謡が唄えたり、演奏できたりするのだと理解しております 自分が出せる今の金額は、最高でたったの40万円までが限界です
42歳にもなって・・ たったの40万円が限界だなんて 皆さんおかしいと思われる方も多いと思いますが・・ 人には皆、事情というものがございます 42年を生きてきて・・ 自分の夢は何かと問われたら・・ 生きて死ぬるまでには一度は自分が主催をしてコンサートを開いてみたい これがもし叶えば・・ 私は色目ないと良いと考えます。 自分の人生に悔いは一切ありません。
私は民謡に救われた一人です。 40から民謡に救われ・・ 赤田先生に救われ・・ 仲山先生に救われ・・ 和楽の仲間に救われ・・ 多くの依頼をした出演者の方々に今、救われております。 その中の一人の民謡人が・・ この間、私に1通のメルをくれまして・・ 「自分は春のコンサートのためにはできることは協力しますから遠慮せずになんでも言ってくださいね」と・・ 男なのに涙が出て・・
不思議ですね・・ 一番キツイ時にそんなことを思ってくれてる仲間がいるってこと・・ キツクはない時であれば・・ ありがとうで済みますが・・ その一言がどれだけ私の心を救ってくれたことなのかは・・ 私にしかわからないことであります。 友人が一番神経をとがらせている状況をきっと想像してたのでしょう・・ そんな時こそ・・ この人は生涯の友だと確信した
信じられる友って・・ 皆さんにいらっしゃいますでしょうか? 実は私は嘘は大嫌いですので正直に言いますが・・ 信じられる友って・・ 全てを信じられるという友なんておりません。 そこまで深くお付き合いをしておりませんし・・ その相手の民謡人は、私のことをどう思ってるのかなど私には全くわかりません。 けれども、私は、その方を尊敬しております。 それでいいんです。 相手の思いは相手に任せます。
私の心が好きになる民謡人・・ それは滅多にないことです。 自分の心の審査は厳しいです。 自分は自分には甘いのにです(笑) プロ、アマを問わず人間を見ます。 ですので例えばアマチュアで技術がなくっても心が優れている方などはたくさんいらっしゃいます。 そういった方には話かけたくなるのです。 プロの場合は、優れた人間性を保つのは難しいと考えます。 なぜならば、プロというだけでも人が一目も二目も置いて接してくるからです。
ここで話が全く変わりますが・・ 私の亡くなったおばあちゃんの話に移ります。 私はおばあちゃんが大好きでした。 おばあちゃんは・・ 父(息子、長男、男一人に女は2人・・ 弟は8才の時に海で溺れて死亡)が先に亡くなってしまい・・ ショックで寝込んでしまい・・ 2年後に亡くなってしまいました。 もう10年も前のお話です。 僕はおばあちゃんから素晴らしいことを学んだのです。
ある日、おばあちゃんと言い合いになってしまった時のことです。 おばあちゃんは、僕が孫だからというのもあったと思うけれども・・ 僕が一生懸命におばあちゃんに強く主張をした時に おばあちゃんが本気で言ったんです 「 ゆうじ、あんたがそれだけ一生懸命になって言うんだから・・ あんたが正しいよ 」 普通だったら・・ あきれてケンカを投げる時に言いそうなセリフでありますが おばあちゃんは違います。
僕が真剣になって主張することを本気で信じようとしてくれたように僕には思えたんです。 おばあちゃんは亡くなってしまいましたので真相は今でもわかりません。 けれども、それを言われた僕は、一瞬で怒りというか・・ 逆に自分が情けなくなってしまっていたんです。 おばあちゃんに吐いた暴言のような主張が大人げなく自分の心に罪悪感として残ってしまったのでした その時、僕はおばあちゃんには一生勝てないということを悟ったのでした
おばあちゃんは、自ら綺麗に言い合いを引き見事に戦いを終わらせ・・ 相手に降伏させたのでした 私はその時におばちゃんの技を学びました もちろん私に厳しい時代を這い上がって生きてきたおばちゃんの技を身につけることが出来た訳ではありません。 けれども、私は人の怒りに自分が乗れば それは自分の負けを示すのだと理解できたのです。
もちろん、このことは、私独特の哲学です。 本当に強い者は、相手の怒りに乗りません。 怒りに乗っかると冷静な判断ができず・・ 結果・・ 暴走してしまう危険性があるからなのです。 そしてすぐに怒る人間は心が弱いと判断します。 心が強い人間はすぐに怒ったり感情をぶつけてはこないからです。 つまり人間は心の在り方がすべてを左右すると考えます。 おばあちゃんは、一瞬にして自分の怒りを沈め私に同調したんです。 この技はなかなかできるものではないと私は思いました。
でも人間は難しいです。 皆それぞれ自分が最も正しい標準な人間であると信じている人が多いからです。 自分が変人であると思ってる人などいないと思います。 私はよく人から変わっていると言われます。 だから主催者になったのだとも思います。 普通の人であれば・・ これだけの経費を自分一人で抱えようとは考えはしないでしょう。 でも私にとってこの使うお金の価値は無限大です
これほどに生きたお金の使い方は、私の生涯で最初で最後となるやもしれません どんなに喜んで動き周るだろう 私のお金達よ あともう少し待っててね いっぱい いっぱい 走り回らせてあげるからね お金を使えるという喜び まるで大切な娘を嫁に出す気分でございます
人気ブログランキングへ 一生懸命働いたお金が活きようとしている喜び 春のコンサートのために使ってあげられるお金達は幸せものでございます
私自身も和楽の会の仲間に入れていただいて、何度かゆうさんと意見を交わす事があったりもしましたが、そんなやりとりの中で、自分自身の未熟さを感じたり、学びがあったり、本当に勉強させていだだけているなぁと感謝しています。
春のコンサートの為にゆうさんがどれだけ頭を悩ませ、奮闘されているかを考えると、遠くで何もできない自分がもどかしく思います。
でもこのコンサートに関わる方々の想いは一つだなぁと日を追う毎に感じます。
皆で温かい、愛の溢れるコンサートを作り上げましょう
o(^-^)o
9分という長丁場での中 民謡の頂点というべき 江差追分を熱唱されるわけですので・・ 春のコンサートに観覧しに来てくださる誰もが きっと楽しみにされると私は予想しております
予想するというよりは、一番楽しみにしているのが私なんです(嬉) この間、江差追分全国大会を初めてネットで生中継を見てみて ・・ 感じたんです
最初から最後まで通して聞きたい 全ての競技者が本唄しか唄ってくれませんから(当たり前ですが ) 僕は、あなたから歌詞を教えていただいて・・
なんとか、その歌詞を早めに観覧される方々へコピーして配ってあげたいんです また歌詞が決定しましたら、教えてくださいませね
問題はねー 唄う出演者の順番なんです ここからがまた難問
私だったらねー 早く安心したいから・・ トップバッターがいいな
まぁだいたい実力が上の人が後に出た方がバランスがいいですからね~ スピーカーも リハーサル2時間も行えば温まってるはずだしね それに私は三味線伴奏が少し多いので・・
唄は早く済ませておく方が気分は楽なんですヨ 私一人で決めることはできないので・・ 先生方との相談になるのですが・・ 僕的にはね・・
前半は和楽の会にして・・ 後半からゲスト様単独演奏 そして赤田先生グループに締めていただくという順序を思い描いてはおりますです
僕みたいな未経験の民謡人が考えたことですので きっと先生方に却下されると思っておりますが
変な考え方もしれませんが・・ 僕的には、出演者の方々も大切な観覧者になるべくなっていただきたいんです。
一人一人が発表をする姿を眼に焼付け心に思い出として刻んでいただきたいのです そう考えた時に・・ 和楽の会と赤田先生のグループが交代交代で出演していると・・
みーんな待機ばかりしなくちゃならなくなっちゃって その間、出演者の頑張ってる姿は見れませんのでね
できれば前半は、和楽の会が中心に行うのが私だけの理想ではあります。 先生方とお話をすれば・・ どういった流れになってゆくのか・・ お話してみなければわかりませんですけれどもね