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取り返しのつかないこと

2013-06-13 17:18:53 | うつと生きる
皆様、お久しぶりでございます  私は取り返しのつかないことをしてしまいました  それは自分の心に対してです  前にも書きましたが・・  私は心療内科に3度ほどお世話になりました(今年)  結果はうつ病とは言われませんでした・・  けれども自分でわかるんです。





最近、時折、自分の心の中に長年苦しめてきてしまい発生してしまったもう一つの怖い心が芽生えてきてしまったのです  自殺の道に誘う芽です(ですが、私の判断ですとまだその芽は小さく即効性はまだなさそうです) けれども、例え小さな可能性でも・・  そういった芽がある という恐怖は半端ではなく怖いです





私が自分で感じた判断だと・・  100で評価するとして、まだ10いかないくらい小さな感じです。  私は10年という歳月・・  自分の心を無視したまま、自分のわがままな判断で心を蝕み生きて参りました  つまり・・  その罰を今、心の恐怖として味わって生きているのです。  恐らく・・  このブログを読まれた方は驚いたでしょう





あの元気そうなゆうさんがそんなまさか  きっと皆様はそう思われたことでしょう・・  そして苦しい私は何名かこの事実を打ち明けてみました・・  けれども予想通りでした・・  経験のない方にとって・・  こんな話は答え用がありませんですし・・  ただ多くの答えは、親より先に死ぬことは絶対いけないとか、人には言ってはならないとか・・  又は明るい話だけするようにしましょうなどでした。






この答えはもっともだと私も思いました。  その通りなんです常識では   ただ、そう聞きますと・・  それ以上はこちらは何も言えなくなりました。   そうやっていく内に私のこのような暗く深刻な話をまともに聞いてくださる方は滅多にいらっしゃいません。   実際、健康な方が私の現状を聞くと心が沈んでしまいます





ですので聞きたくはないのだと思います。   僕だって自分が健康であった頃にこのような相談を受けても同じアドバイスをしたでしょう。   私は今、うつという病に対して貴重な経験をしているのだと考えております。  私の考えだと・・   それぞれの人間の中には、その人の生まれた時からの育つ環境におおじて、あるいは生まれもった遺伝子の強さにおおじて、耐えれる幅というものがあると考えられます。





その耐えられる幅をもしも超えてしまいますと・・  私のように心に限界が生じてしまい → それ以上強いストレスを受け入れることは不可能であるという強い信号を発するのです(それが強い恐怖心です)  恐怖心というのは、あくまで私の経験による表現の呼び方でございますが・・  私の場合には、1月4日の早朝に初めて起りました





気分が悪くなってきて → 眠ろうとしてもさまざまなことが頭の中に浮かんで来ては回りはじめて眠れなくなります →  部屋に一人でいることが怖くなります(だんだんと) →  この時には母を呼びました(母がいなかったらやばかったです) →  母にそばに居てもらっているうちに少しずつ悪魔な心はおとなしくなってゆきました





その日からです・・   今でも、時折、生きていることが怖く不安に落ち入ってしまうことがございます   健康な方がこの文を読むと・・   きっと狂っているなと思われるのでしょうね。   でも私はいいのです。   人がどう思おうと・・  それはそれぞれの自由なのだから・・  私が悪かったんです。





こんなことになってしまうのがわかっていたならば・・  もっと違う生き方に変えることも可能であったのかもしれません・・   だから、このブログを読んでくださっているファンの方だって・・   きっとなんらかのストレスを毎日抱えて生きているはずなのです   ですので私のこの貴重な経験を知っていただいて・・   心には受け入れることのできる容量というのがあって・・





その中にそのストレスが少しずつ積もってゆき・・   私のような病に落ちないように警鐘を鳴らしておきたい意味があるのでございます   この精神の病というのは本当に怖いです。   常識など通用致しません。   常識を考えられるのは心が健康であるからなんです。  だから常識の考え方を病んだ人に伝えてもできないのでございます。






私が考えるのに・・  もし、今、読んでくださっている あなた様の大切な方が私のように心に病が発生して同じような悩みを打ち明けてきたならば  その時には愛があるならば聞いてあげてください   聞いてあげるだけがどれだけ有難いことであるのか   私は、今、身に染みてわかり始めているのでございます。





きっと・・   今の私は、これまでの私とは明らかに暗く沈みも激しく落ち込んでおります   だから・・  そんな私から去ってゆく人も多いはずです    でも、それでも私は生きたい   私はこの経験をなんとか乗り越えて民謡に生かしてやりたいのです   民謡には辛い経験も大きく必要であると私は考えているのです





人は辛い経験を乗り越え →  人の痛みがわかる  →  人の痛みがわかって  →  民謡の唄の意味も理解できる  →  唄が理解できれば声となって人の心に伝わってゆきます




高い魅力のある民謡を目指したければ・・  今の私の困難は乗り越えることができるとすれば   それはいずれ素晴らしき驚異となり魅力と化すことでございましょう   私の民謡の歴史はまだ始まったばかりなのですから   私は絶対に諦めない   絶対に生きてみせます










人気ブログランキングへ  私はブログを書く元気がなくなっていました  だけれど病に負けたくはなかったんです・・  このままだとまずい  悪い方向に向いてしまう  自分の心を長い年月で傷をつけてしまったことはもう消せません。  つまりそこをやり直すことは不可能なのです。  だったら今の現状を素直に受け入れ  今の自分の状態からまた人生をスタートさせればいい  まだ人生の半ばだと信じて   これからは、いかに病んで疲れてしまった我心に癒しを与えてやれるのか  そこが重要なポイントだと考えております。  結局、人は助けてはくれません。  自分でどう生きてゆきたいかを冷静になって考え救ってやれるのは自分自身なのでございます  10年無視し続けてきた我心よ   本当に申し訳なかった  すみませんでした  どうか  これからもどうぞよろしくお願い致します


そしてファンの皆様、こんなバカ正直な男ではありますが・・  どうかよろしくお願い致します  ブログを休んでいても・・  毎日のようにポチポチとランキングを押してくださったファンの方へ  心から愛しております(男性もです 笑)



















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2 コメント

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Unknown (ケイ)
2021-04-29 20:18:00
ゆうさん、こんばんは。
はげりんから聞いてブログを遡って拝見しています。
人は不思議なご縁で結ばれているのでしょうか。
私、4年前にある日突然、食事が喉を通らくなり うつ病と診断を受けました。
抗うつ剤は副作用がきつく飲めなくて、安定剤や眠剤、胃腸薬で治療を受けて来ました。
はげりんには随分迷惑をかけましたが、はげりんの支えがあって現在は寛解状態まで来ました。
(うつ病は再発が多いので完治とは言えません)
一時期は感情もなくなってグレーの世界にいる自分を恐ろしく感じたものです。
私は命を絶とうと言う気持ちは出ませんでしたが
ろうそくのように消えて無くなりたいと思っており、医師から「それは死にたいと同じ事だ」と言われました。
この病は、かかった本人や身近な家族しか理解できないと思います。
ゆうさん、悪化することなくよかったですね。
何だか、ゆうさんを身近に感じてしまいました。(´艸`*)
はげりん共々、今後ともよろしくデス。
長々と失礼いたしました。m(__)m
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運命かもしれません (和楽の会民謡 ゆうさん)
2021-04-30 16:50:26
ケイさん、そうだったのですね(涙)こんばんは。 私だって完全に治ってなんていないと感じておりますよ。 人には言えませんが普通では考えられない衝動に駆られたこともございましてね。

人間というものは、僕はバランスボールだと思うのです。 どこかでバランスを取ろうと頑張ってるけれども・・ ちょっと間違えると 考えられない方向へと進み始める危険は付きものであると考えているのです。

私の場合、民謡が救ってくれているのです。 三味線や和楽器は、心を癒すのに適しているように感じています。 それに技術と心が磨かれば、人の心を癒せる人間に成長できるかもしれません。

自分がうつっぽく辛い時代をなんとか乗り越え、今があるからこそ、様々な悩みなどを持っている人の心に音楽というツールを使用し癒せればと願っているのです。

このひとつの出会いも、そこに通じる何かが縁を招いてくださったのかもしれませんものね。 音楽、和楽器を通じて、世界が少しでも平和になってゆくよう願いながらも、毎日、アリさんのように少しづつ前進を重ねて、ファンの皆様と共に夢を観ながら進んで生きてゆきたいと願っております。

ケイさん、はげりんさん、どうか、これからも宜しくお願い申し上げます。
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