CASIOPEA'S DIARY

感じたことをそのまま書いています。どうぞ見ていってね。

うつ病にかかって

2013年08月05日 | 病気について
 医者の言う通り、なってほしくないうつ病の生活が始まりました。まずは、家から出られずにただ、横になっているしかないのです。
毎日がとても気持ち悪くてだだ横になっているしかない生活が始まりました。まず、目が覚めると、気持ちが悪く、すっきりした感じがまるでなく、起きられないのです。もちろん、食欲はまったくなくだだ寝ているしかないのです。でも、食べないと身体に悪いということで無理して食べました。
もちろん、自分の好きな食べ物もまずく、食べた気がしませんでした。この先どうなるか不安で不安でたまりませんでした。

 何カ月もこういう生活が続き、そこに大きな不安が襲ったりと生きた心地がしませんでした。でも、自殺したいという気持ちはありませんでした。
医者には毎週通っていたのですが、薬を渡されるだけでいっこうに良くなりません。薬は、単なる気休めでしかありませんでした。
自分で少しずつ減らしていくことにしました。一気に減らすのは危険だという本を見たからです。しかし、副作用がとてもひどかったので本当に
我慢できなかったので医者に内緒でしてしまいました。でも何ともなかったです。それより飲まないほうが楽でした。

 少し良くなってきて、仕事に行くことができるようになり、地獄のような通勤が続きました。電車の中では相変わらず、めまいがして、席が空いてても
座ると余計不安が増し、立っていても、息が苦しく、何回も途中の駅を降りてまた乗るという生活が続きました。とにかく会社に着いたときは体中が汗だらけで
仕事など満足にできない状態でしたがいつかはなおるんだという気持ちで頑張りました。でも私が勤務していた会社は時間が不規則な会社で仕事の量もかなり多く、毎日遅くまでの仕事だったので、いろいろ悩んだ結果、自分の身体が大事だと割り切り、退職しました。

 その後は、少ない貯金をくずしながら病気と闘う毎日でした。もう、まともな仕事はできないということでパートの仕事を探そうと思いました。
なんとかその仕事が見つかり、前の仕事よりは、時間が5時間の仕事だったので何とか勤めることができるようになりました。それまでは正社員にこだわっていたのですがもうそんな事はまるで考えなくなりました。この仕事はパートなので仕事に大きな責任はなく、気楽にできました。

 ストレスも少なくなり、いままでどれだけのストレスを抱えていたかいろいろ考えました。日が経つにつれて、身体のほうも良くなっていきました。
しかし、あまり頑張りすぎるとめまい、耳鳴り、不安現象がひどくなり、また、気持ち悪い状態になり、それが交互に来るといった生活が続きました。

 約1年すぎたら不安な気持ちが少なくなって行きました。とても不安な気持ちがなくなるととても楽になりました。それまでは、毎日、会社に行ったら
休憩室で軽く寝たりしていて、疲れや不安を少しでもとってから仕事をする毎日でしたが、それをしなくても良くなったのです。幸い、上司が、
私のことを心配してくれたのととても私と気が合う人だったのでどれだけ救われたか、今でも感謝しています。周りに自分の味方になってくれる人や
信用できる人がいるとどれだけ心強いか本当にわかりました。

 この鬱になってひどいことがほとんどでしたが、本当に人に支えられないと人間はダメなんだなということがしみじみわかりました。
また今まで病気知らずの私でしたが、健康がこれほど大切なものなのかとつくづく知らされました。人間、病気にならないと、
健康のありがたみが分からないんだな、と実感しました。それ以来約16年になりますが、今でも耳鳴り、めまいなどありますが、そんなのは鬱に比べたら大したことなく、もう慣れてしまったのでほとんど気にならなくなりました。一生治らなくても上手に付き合っていくことにしています。
そのほうが楽です。前のように元気になれなくてもあの苦しみがないだけでどれだけ、幸せか身にしみました。

 この病気になった原因をよくよく考えてみて、一番大きな原因は、「無理をしていた」ということですね。自分ではわからないのですが、後になって考えてみると、本当にただただ休まずに働いていたということがわかります。休日も少なく、休日はただ寝ていることが多く、どれだけ身体に負担をかけていたか・・・。

 今は、「いい加減」という言葉が私の生きていく信条です。まず、無理をしない、できないものは、できないと断ること、自分の好きなことを週一回は夢中でする、運動もできるだけ、調子のいい日にやる、食生活は、いろいろなものをバランスよくゆっくり時間をかけて楽しく食べることを心がけています。
今までかなりひどい食生活をしていたのでそれも鬱の原因だと思っています。

 現在も非常勤の仕事をしており、収入は以前の半分弱になりましたが、とても毎日が楽しく、充実に暮らしています。週に一本は映画を見るのが
趣味になっています。時間に余裕ができて、なんとか生活ができればそれでいいと思うようになりました。それまでは、男は仕事と思っていた私が
このように考えられるようになったのはこの病気のおかげです。今は、通勤している人が疲れている顔を見るともっと楽しく生きましょうよ、
というセリフがいつも心の中にできるほど元気になりました。好きな酒もいい加減にに飲んでいます。生きている実感が感じられ、子供とも話す機会が
多くなり、とても明るい家族関係になりました。こういう生き方もあると思っています。



うつ病になりたくなかったら、

★無理をしない、ストレスをためない、バランスの良い食事、自分の趣味などを生活の中に取り入れる、天気の良い時はなるべく外に出かけていい加減に運動する、いろいろな人と話をする、

私がこの病気になって感じたことです。完璧主義者、人に負けたくない気持ちの大きい人、趣味もなく仕事が趣味な人、気を付けてください。この病気は、長く続き治るまで時間がかかる病気です。ならないに越したことはありませんが、毎日の自分の行動を再チェックしてみてはいかがでしょうか。


胆石について

2013年08月05日 | 病気について
私が胆石を知ったのは、自分が胆石を持っていて、はじめて強烈な腹の痛みを経験したからである。その痛みがはしった日は、朝、肉料理、昼、マクドナルドのハンバーガー、夜、寿司、とくにマグロを食べたのだが、夜、寿司を食べ終わった2時間後、急に腹が痛くなった。それも、普通の痛みではなく、じっとしていられない痛みが襲った。

どうしようもなく起きていられないなと思った私は、寝ることにしたが、ますます腹が痛くなり、寝ていることはできないほどになり、その夜は、徹夜で痛みと闘った。これが我慢できない痛みなのかと初めて経験した。次の朝、仕事には行ったが、かなり苦しかった。また、うつ病と違う痛さであるが、うつ病の苦しみからすれば大したことはない。でもこの痛さは、尋常ではないのでとりあえず医者に行ったらエコーの検査をして、胆嚢に石が映っていた。痛みは、この石が動いたことによってであった。医者はすぐに入院の手続きを求めたが、いきなりでは、仕事の関係もあって無理なので断った。

その日は、点滴を打って(3時間ぐらい点滴を打った)帰った。いろいろ考えて、とりあえず、入院はしないで、今後のことをゆっくり考えた。今は、全く痛みは感じないのでそのままにしている。ただ、一か月に一回は医者に行き、ウルソという胆石を溶かす薬をもらっている。もう2年以上飲んでいるが、まったく石はなくならない。しかし、痛みは、もうほとんど襲ってこないので、安心しているが、こんど痛みが走ったら手術をして胆石を取ってもらうことを決心している。

あの痛みをもう経験したくないので、食生活を大幅に変えた。それが良かったのか、胆石は大きくなっていない。今は、直径3cmの石が一個ある。医者によると、大きい胆石のほうが胆管に詰まらずに痛くならないということで確かに痛くならないでいる。食生活を変えたことによって体重も減り、信じられないがウエストも86cmから79cmに一カ月でなった。なんと大学時代のパンツがはけたのてす。体重も10kg減り、体も軽くなり、とても生活していて楽になりました。

現在も、あれから2年以上経つが、石もまだあるにもかかわらず、痛みがないのでこのままの状態で生活している。ちなみに、食生活を簡単に書いてみると、朝は、納豆とごはん(2年以上続けている)、昼、夜は肉はなるべく口にしていない。ただ、全く肉をとらないと逆に悪いということなので少しは食べている。一日三食、腹八分目を目標にしてゆっくり楽しく食べることをいつも心がけている。
その結果、身体も順調で手術もしないで普通の生活をしている。
ウルソという薬は今も飲み続け、エコー検査は、半年に一回受けている。

エコー検査は40才すぎたら受けるべし。いろんなことが分かる。首から脳に行く血管が見れたり、首から膀胱まで自分の体の中身が見える。石も胆嚢だけでなく腎臓にも見ることができる。私は、腎臓にも小さな石があった。しかし、薬のおかげで今は、腎臓には、石が本当に少なくなった。





パニック障害

2013年08月05日 | 病気について
今から15年以上も前の出来事でした。
その日は、本当に久しぶりに午前中で仕事が終わり、家に帰る途中の地下鉄での出来事でした。突然、今までにない恐怖を感じ、「俺は今、死ぬのではないのか」という本当に恐ろしい気持ちが身体全体を覆い尽くしました。恐ろしくなってすぐに次の駅で何とか降りることができ、駅のベンチにたどりついて、横になりました。心臓がドキドキして、身体は汗だらけになり、息もつくのがやっとの状態でした。そのときは、何が何だか分からずただこの恐怖がおさまるのをずっと待っていました。なにせ、病気をしたことがない人間だったので初めての病気の恐ろしさに気が動転してしまいました。

30分くらいしていて、なんとか歩ける状態になり、地下鉄を出て、JRに乗り換えようとしました。というのも、地下鉄にまた乗ったら同じ症状が出るのが怖かったからです。最寄りのJRの駅まで20分くらい歩きました。なんとかJRの電車に乗り、無事家にたどり着くことができたのです。すぐに寝ました。しかし、動悸が酷くて、また死ぬほどの恐怖が何度も何度も襲い掛かり、寝ることはできませんでした。やっと寝ることはできてもすぐに目が覚め、また恐怖に襲われました。

次の日、すぐに病院に行きました。でも、疲れからくるものでしょうと医者から言われ、何か薬を出され、それを飲んでまた寝ました。しかし、症状はいっこうに良くならず、また次の日、病院に行き、いろいろ検査をしたのですが、身体に異常はなしで、ゆっくり静養してくださいと言われましたが、恐怖がおさまることはありませんでした。他の病院に行ってもまったくいっこうに状況が変わりません。耳鼻科や脳神経科・・・といろいろ病院をたらい回しにされ、1年が過ぎました。仕事は休むわけも行かないのでかなり無理して行きました。仕事場までは80分ほどかかるのですが、これが本当に大変でした。急行列車には乗れず、普通列車もなんとか頑張って乗ることができ、2時間以上かけて仕事場に行っていました。電車の中では、何か苦しくて、立っているのもつらく、窓から緑の景色を見て、自分に大丈夫だと言い聞かせながら汗たらたらで通勤していました。

ふと、家でパソコンをいじっていると、自分と同じ症状の人の体験談を読んで、これだ、と思い、その病気がパニック障害だということを初めてわかったのです。すぐに精神科に行きなさい、ということが書かれていたが、精神科なんかは私が行くところではないという気持ちが大きく、なかなか行くまで時間がかかりました。しかし、このひどいつらさが私を精神科へ行かせたのです。精神科に行くと、先生になぜもっと早く来なかったのですか、と言われました。
パニック障害は早く見つけて早く治療すれば短期間で治るのですよ、このままだとうつ病になる可能性が大きいですね。と言われ、自分の症状を細かく伝え、つよい安定剤をもらい、帰りました。

その薬が効いているのかいないのかよくわからず、飲んでも気持ちがなくなりませんでした。余計に副作用ばかりがでて、いったいどうなっているのだろうという気持ちばかりでした。あまりにも薬が効かないので飲まない日もたくさんありました。飲んでも飲まなくても同じような気がして、俺はいったいどうなるのだろう、という不安の気持ちでずっと過ごすことになるのです。しかし、時間はどんどん過ぎていきます。そうです。うつ病になってしまったのです。

バランスが大切!

2013年08月05日 | Weblog
この世の中はバランスによって成り立っている。晴れれば、雨が降る。このバランスがくずれれば、豪雨になったり日照りになったりとおかしいことが起こる。人間においても食事のバランスや精神のバランスをくずせば、病気になったりする。
なにごとにおいてもバランスよく生きることが大切だと最近はしみじみ感じている。