以下引用
維新・足立康史衆院議員「国会の猿芝居にとどめ刺す」 「日本死ね」はよくて「民進アホ」がアカンのはなぜ
9日の参院予算委員会で、民進党の蓮舫代表の質疑はひどかったねぇ…。憲法改正に関する党の考えをまとめるよう安倍晋三首相から迫られたけど、何も答えられなかったでしょ。
われわれ日本維新の会は「教育無償化」「統治機構改革」「憲法裁判所」の3項目からなる改憲原案をすでに出しています。安倍首相は3日に自民党総裁としてメッセージを表明しましたよね。共産党はそもそも憲法改正に反対やから、姿勢がはっきりしてへん主要政党は、もはや民進党だけ。対案なき批判、反対のための反対に終始するのではなく、党の考え方をまとめて憲法審査会で堂々と訴えることが、野党第一党のあるべき姿とちゃいますか。
僕は昨年4月の衆院総務委員会で、民進党が安全保障関連法に関し「廃止法案が対案」だと胸を張ることを「アホじゃないか」と批判しました。民進党から4回も懲罰動議を出されましたけど、「日本死ね」には問題がなくて「民進アホ」がアカン、という理屈は僕には分かりません。なんでアカンのですか。
「アホ」発言は確信犯だったのかって? 全然ちゃいますよ。民進党のアホな質問を聞いているうちに腹が立ってきて、思わず言っちゃった。それに、僕は自民党であってもアホな政策には文句を言う。先日の厚生労働委員会でも小泉進次郎衆院議員らが提案する「こども保険」を「アホ」だと切って捨てたんです。
「政府ではなく、他の野党を批判するのはいかがなものか」という声もあるけど、だったら反論したらいいじゃないですか。国会質問の中で言い返してもいいし、記者会見を開いてもいい。なのに彼らは、懲罰動議を出したり、僕の質問時間を削ったりする。その結果、衆院議員が2人しかいない社民党よりも僕の時間が少ないことすらありました。
実は、僕の暴言の最初は「アホ」発言やないんです。「アホ」ばっかり取り上げられるけど、「アホ」はホップ・ステップ・ジャンプでいえば「ステップ」みたいなもんです。
もっと大事な最初の「ホップ」は、平成27年6月の衆院厚労委の質問で、質疑をボイコットしてヤジを飛ばす民主党議員らを思わず「55年体制の亡霊」と批判した。それが僕の原点ですわ。
そして、いよいよ最後の「ジャンプ」は共産党批判ですね。馬場伸幸幹事長からも「もう民進党はいいから、共産党をやろう」と言われてるんですよ。共産党って極めて巧妙でしょ。ソフト路線を敷いて若者に浸透しつつある。今後はターゲットを民進党から共産党にシフトしていくつもりです。
それにしても、僕が「55年体制の亡霊」発言をしたときの民主議員たちはひどかった。質疑には応じず場外から首相をなじる。プラカードを持ち込む。揚げ句の果てに委員長に暴力を振るった。それも計画的にね。コイツらは何なんだ、と思ったね。
「野党は何でもあり」「与党はひたすら我慢」-。これって万年野党と万年与党が演じる猿芝居じゃないですか。抵抗しているように見える野党も、裏では夜の赤坂の料亭で与党と握手し、一緒にシナリオ作ってる。与党もそんな「55年体制モデル」から脱しきれない。そのほうがラクやからね。
猿芝居に終始する「亡霊」たちにとどめを刺して、与党と野党第一党が切磋琢磨(せっさたくま)して政権を争う「新しい政治」を作らなアカンと思います。
僕が旧通産省に入ったのは平成2年でした。その3年後に細川護煕・非自民連立政権が誕生しました。僕ら若い官僚は「新しい時代を作るチャンス」と期待したんですね。55年体制が終(しゅう)焉(えん)した高揚感は確実に僕の中にありました。だけど細川政権は倒れ、新進党が分裂し、民主党も失敗し…。約四半世紀たった今も国会の中を「55年体制の亡霊たち」が徘徊(はいかい)している。
日本維新の会は将来、自民党と四つに組んで政権を争える政党になりたい。維新を与党の「補完勢力」と呼ぶ人もいますけど、僕は競争相手のつもりでいるんです。かつて松井一郎代表(大阪府知事)ら自民党の地方議員が維新の母体を形作ったように、国政でも自民党の良質な部分を引っこ抜くくらいの気持ちで頑張りたい。
僕は「保守系二大政党」という言い方をよくしますけど、「保守」というのは必ずしも政治的な「右」という意味ではありません。いわば「まっとうな」というくらいの意味なんです。
引用終わり
維新・足立康史衆院議員「国会の猿芝居にとどめ刺す」 「日本死ね」はよくて「民進アホ」がアカンのはなぜ
9日の参院予算委員会で、民進党の蓮舫代表の質疑はひどかったねぇ…。憲法改正に関する党の考えをまとめるよう安倍晋三首相から迫られたけど、何も答えられなかったでしょ。
われわれ日本維新の会は「教育無償化」「統治機構改革」「憲法裁判所」の3項目からなる改憲原案をすでに出しています。安倍首相は3日に自民党総裁としてメッセージを表明しましたよね。共産党はそもそも憲法改正に反対やから、姿勢がはっきりしてへん主要政党は、もはや民進党だけ。対案なき批判、反対のための反対に終始するのではなく、党の考え方をまとめて憲法審査会で堂々と訴えることが、野党第一党のあるべき姿とちゃいますか。
僕は昨年4月の衆院総務委員会で、民進党が安全保障関連法に関し「廃止法案が対案」だと胸を張ることを「アホじゃないか」と批判しました。民進党から4回も懲罰動議を出されましたけど、「日本死ね」には問題がなくて「民進アホ」がアカン、という理屈は僕には分かりません。なんでアカンのですか。
「アホ」発言は確信犯だったのかって? 全然ちゃいますよ。民進党のアホな質問を聞いているうちに腹が立ってきて、思わず言っちゃった。それに、僕は自民党であってもアホな政策には文句を言う。先日の厚生労働委員会でも小泉進次郎衆院議員らが提案する「こども保険」を「アホ」だと切って捨てたんです。
「政府ではなく、他の野党を批判するのはいかがなものか」という声もあるけど、だったら反論したらいいじゃないですか。国会質問の中で言い返してもいいし、記者会見を開いてもいい。なのに彼らは、懲罰動議を出したり、僕の質問時間を削ったりする。その結果、衆院議員が2人しかいない社民党よりも僕の時間が少ないことすらありました。
実は、僕の暴言の最初は「アホ」発言やないんです。「アホ」ばっかり取り上げられるけど、「アホ」はホップ・ステップ・ジャンプでいえば「ステップ」みたいなもんです。
もっと大事な最初の「ホップ」は、平成27年6月の衆院厚労委の質問で、質疑をボイコットしてヤジを飛ばす民主党議員らを思わず「55年体制の亡霊」と批判した。それが僕の原点ですわ。
そして、いよいよ最後の「ジャンプ」は共産党批判ですね。馬場伸幸幹事長からも「もう民進党はいいから、共産党をやろう」と言われてるんですよ。共産党って極めて巧妙でしょ。ソフト路線を敷いて若者に浸透しつつある。今後はターゲットを民進党から共産党にシフトしていくつもりです。
それにしても、僕が「55年体制の亡霊」発言をしたときの民主議員たちはひどかった。質疑には応じず場外から首相をなじる。プラカードを持ち込む。揚げ句の果てに委員長に暴力を振るった。それも計画的にね。コイツらは何なんだ、と思ったね。
「野党は何でもあり」「与党はひたすら我慢」-。これって万年野党と万年与党が演じる猿芝居じゃないですか。抵抗しているように見える野党も、裏では夜の赤坂の料亭で与党と握手し、一緒にシナリオ作ってる。与党もそんな「55年体制モデル」から脱しきれない。そのほうがラクやからね。
猿芝居に終始する「亡霊」たちにとどめを刺して、与党と野党第一党が切磋琢磨(せっさたくま)して政権を争う「新しい政治」を作らなアカンと思います。
僕が旧通産省に入ったのは平成2年でした。その3年後に細川護煕・非自民連立政権が誕生しました。僕ら若い官僚は「新しい時代を作るチャンス」と期待したんですね。55年体制が終(しゅう)焉(えん)した高揚感は確実に僕の中にありました。だけど細川政権は倒れ、新進党が分裂し、民主党も失敗し…。約四半世紀たった今も国会の中を「55年体制の亡霊たち」が徘徊(はいかい)している。
日本維新の会は将来、自民党と四つに組んで政権を争える政党になりたい。維新を与党の「補完勢力」と呼ぶ人もいますけど、僕は競争相手のつもりでいるんです。かつて松井一郎代表(大阪府知事)ら自民党の地方議員が維新の母体を形作ったように、国政でも自民党の良質な部分を引っこ抜くくらいの気持ちで頑張りたい。
僕は「保守系二大政党」という言い方をよくしますけど、「保守」というのは必ずしも政治的な「右」という意味ではありません。いわば「まっとうな」というくらいの意味なんです。
引用終わり