循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

創作・短歌

2017年12月26日 15時55分55秒 | ETUDE
十二月二十六日

・名づけしは親なるけれど生き方はそれぞれが意味深め行くのみ

・幼少の冬の遊びは凍み渡り吹雪の時に死線を渡るや

・哀しみを乗りきるための仕組みなる初七日過ぎて四十九日と

・この年も六日を残し節となる振り返りたれば悪しきも多し

・越後では雁木と称すアーケード人の暮らしを支えし仕組み

・理想のみ語りていても人間のそれぞれにあるやむなき事情

・あの年の豪雪の夜亡き父と雪あかりにて寒じき踏みぬ

・図らずも豪農の家に・生まれしは宿命といえわれは望まず

・親という字に込められしそのわけは子のことをただ見守るが役

・人という心それぞれ育ちおり常に習熟発展途上

・老いにより失いしこと数多し若き日の記憶思えば悲し

・いまさらに己の人生自らが蒔いた種なり刈り取って行く

・六十五齢を数えて動かねば身の回り品片付け開始

・かみさんに最後の言葉準備するごめんなさいかありがとうねか

・ここまでも来られたわけはただ一ついろんな神の助けがあった

・尽きるとき悔いなき日々を感謝して一滴の涙流せたらいい

・上出来さ予測不能の人生は計算違いか運気のせいか

弘前⇔札幌

2017年12月25日 13時54分35秒 | 徒然なるままに(日記)
12月25日(月)風雪

 23日から1泊2日での札幌行きから昨日戻った。
12月19日に急逝した宮さんの通夜に参列のため、家内と二人で
親交のあった宮さんとお別れに出かけたのである。

 幸いにもこの2日間は弘前も札幌も好天に恵まれて、苦痛は感じなかった。

 そういえば今回が初めての新幹線での函館入りで、新函館北斗駅での下車と
札幌までの特急北斗での札幌まで合計5時間の旅となった。

 新幹線は揺れもせずに快適だったが、JR特急北斗はやたらと揺れて、トイレに立っていく際も右へ左へと
思わず何かにつかまらないと歩くのもままならないほどであった。

 私はむしろ平日のほうが気軽に休めてよいのだが、今回は友人の通夜参列なのだから選びようもないということだ。
 たまたまなのだが、23日は天皇の最後の誕生日を祝う日で、翌日が日曜日と連休になっていた。来年は皇太子の天皇即位により、2月に休日が増えるとのことだ。現在の23日は平日扱いらしいがそうなるんだろうか???
そして図らずも、24日はクリスマスイブと来た。まったく不運である。
閑職の私にとっては、むしろ平日のほうが動きやすいのだが、不幸は待ってくれないのだからやむを得ない。

 インターネットでのホテルの予約に難航して、結局料金も割高で、それも喫煙者用の部屋のチャージとなった。
 想像はしていたものの、やはり部屋に入るとすぐにタバコのにおいがして、カミさんが最初に
気色ばんだ。

 宮さんは10日ほど前に電話をくれて、過日送ったりんごと新潟名物の油揚げのお礼を
カミさんと私に伝えてくれたのだから、今回の彼の死は「脳卒中=脳出血・脳溢血」で、自身すら予測もしてはいなかったことだろうと思う。

人の死というものは自身ですら予測もできずに、突然のように訪れるものなんだと改めて思うこととなった。

 帰宅後彼との思い出に撮影した写真を家内と見直したが、2014年頃から盛んに彼が弘前に遊びに来たということを再確認している。自分の死がこの年の12月であることを、まるで予期するかのように年に2度も来訪したのだった。

 彼は歴史に詳しく、私の現在の縄文時代文化好きも彼の今まで熱っぽく語って聞かせてくれたことによるものが大きい。
そういう意味では三内丸山遺跡を筆頭に、秋田県の大湯にある環状列石(ストーンサークル)や八戸市是川遺跡、青森市高田の小牧野遺跡、弘前大森の勝山遺跡(環状列石)などは毎年のように通っている。

 そして今年は鬼神社巡りもした。山菜取りや海での魚釣りは私が案内したし、餅つきやおはぎ造りも記憶に新しい。
彼は自分の家族については一言も触れなかったし、それとなく我々夫婦も尋ねることもしなかった。
 今回通夜の喪主を務めたのが長男さんということだから、結婚はしたことがあったということだろう。兄弟は彼が男一人で、妹が二人いるのだという。 

 そういう過去があったからか、彼は我が家の家族的雰囲気を愛してくれた。お昼の食事は外食もあったが、後はみな家内が作った手料理や義母が栽培した野菜などの漬物も「美味しいねえ!」と私がほとんどほめたこともないことを、盛んに大きな声で伝えていた。だから義母もほかのどんな友人たち以上に、彼の来訪を楽しみにしていたようだ。今回の彼の死をだれよりも惜しいと悲しんだのは義母でもある。

 また来年来ますと行って戻った彼が、もう来年姿を現すこともないのだと思えば、何とも寂しいことだと、そう思わずにおれない。
 

 


 

 

創作・短歌

2017年12月25日 11時38分39秒 | ETUDE
12月25日(月)

・祭壇の写真のきみは笑ってるお蔭でぼくは泣かずにすんだ

・納棺のきみの死に顔見なかったきみは今でも傍に居る

・クリスマスにぎわう街の片隅の葬儀場にはきみの遺影が 

・急逝のきみのそばまで駆けつけぬにぎわう街の雑踏を抜け

・死ぬなどは思いもつかぬ宮原氏あっという間に鬼籍に入りぬ

・先取りのきみは天命知らずとも今思うなら用意周到

・あの世には持っていけないものばかりきみの生き方記憶する我

・あれもしたあそこにも行った君たちとここ数年は思い出作りか

・車窓には白白白の景色のみまるで歴史を閉じるがごとく

・にこやかに笑顔でピースのきみがいる遺影の写真は返事もしないが

・我慢して喫煙ルームで宿泊す連休さなかの通夜参列よ

・悲しきは明日がすでにないことか思い起こすは残されし過去

・旅先で電車を降りる一群は次次々と外国の民

のれそれ雪とろけ隊のパトロール初出動

2017年12月22日 07時28分16秒 | 地域活動
12月21日(木)晴れ -7℃ /+4℃

 昨日は私にとっては、結構ハードスケジュールだった。

 まず頭の中にあるのは友人の通夜に参列するために札幌に行くこと。そのための貴社の切符と宿を確保すること。
しかし、23日、24日は祭日も重なって宿はどこも満員の様子。
クリスマスイブの余波かもしれない。かろうじてすすきののホテルを確保。

 職場に行くと屋根の雪下ろしのオーダーがあった。隊長と一緒に午後2時に岩木山麓2合目の
独居の女性宅(88歳)のパトロールを組んだ。


 10時からは施設「であいの家あうん」の「餅つき会」があり、餅つきのリーダーとして最初のもち米がふけた段階で、
つぶし方と、途中からの合い取り(餅の介添え)役を担う。2臼をついて終了。

 屋根の雪下ろしパトロールはPM2:00体調を迎えに行き、出かける。隊長(76歳)は、元郵便配達員
だったこともあって、地図がなくても名前と住所であそこだとわかる生き字引でもある。

 独居の女性宅に行くと88歳のおばあさんが炉端にうずくまっていたが、耳が遠くて会話にならなかった。
翌日民生委員に連絡しないとらちが明かない。

 屋根の雪の状態を見たがそれほどではなかった。先日の大雪で、民生児童委員が動いたものと思われた。

 

 

友人急逝す!

2017年12月21日 07時34分25秒 | 徒然なるままに(日記)
12月21日(木)晴 ―7℃/4℃

 今冬初めてのマイナス7℃は、さすがにシバレが半端ない。車が凍っていた。
でも朝7時30分お日様も出てきて、何だか気持ちも軽い。

 いつも私のブログを見てくださった札幌市在住のMさん(63歳)が急逝した。
19日の日に自室で脳卒中のために亡くなられたとのこと。一人で暮らしていたので、
どうすることもできなかったのだろうか。一週間前に話をして何も変わった様子もなく、
私のブログの短歌などについて話されていたのだが・・・。

 23日が通夜で、24日が告別式という連絡をいただいた。家内と急きょ札幌市へ
出かけることにした。

 この数年は年に2回の訪問を受け、交流を深めていたのだが・・・。あまりにも急な逝去だったので、
信じられないというか現実を受け入れられずにいる。

 
十二月二十一日

・急逝の報とは知らずTELを受く再会のこと話したばかりで

・約束の旅は葬儀に代わり居る君は一人で永久の旅路へ

・葬儀にはまぶしすぎるよ青空は一緒に旅をしたかったのに

・青ジャージ手に紙袋スニーカーこれがいつもの宮さんの旅

・思い出を数多に残し君は逝く神社巡りも釣り三昧も