腹話術人形けんちゃんの日記

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けんちゃんの日記・ロンドンとパリでのハプニング・2013年6月30日(日)

2013-06-30 15:03:57 | 日記
ロンドンとパリでのハプニング(1995年3月31日)
 日本人ガイドの乗ったバスでロンドン市内観光に行った時のことだった。国会議事堂をテムズ川の対岸から見てバスに戻って来た。二人の日本人がアイスクリームを手に持ってバスに乗ろうとしたが運転手に拒否された。
 アイスクリームを持ったもままバスの中に入ると汚してしまうというのが拒否の理由のようです。後でガイドから説明があったが、イギリスではバスの中や窓ガラスの清掃は運転手の仕事だそうです。汚れたらその運転手がきれいにしなければならないとのこと。
 日本の場合は清掃をする人が他にいるのだが。その二人は結局、アイスクリームを全部食べてからバスに乗車した。
 次はパリの北駅でのことです。コインロッカーに小さなボストンバッグを預けました。コインを入れると5桁の番号の書かれた小さな紙切れが出てきました。それを見ると5桁のうち最初の2桁の数字が読めません。
 急いでいたのでその紙切れを財布の中にしまって、ルーブル美術館に行きました。午後8時頃にバリ北駅のコインロッカーのところに戻って来た。数字をインプットした。しかし5桁のうち最初の2桁の数字が不明なので適当にインプットした。その都度その番号が間違っている
との表示がでる。何度も数字をインプットしてもダメである。私は疲れてイライラしてしまう
 そこにガードマンが来たので事情を説明すると、そのガードマンも何回か数字をインプットしたがやはりダメである。もう事務所は閉まっていて明日の午前7時30分から開くとのこと
 その日は、ロッカーを開けるのを諦めてホテルに向かう。お金は持っていたが、洋服や下着などはすべてボストンバッグの中である。
 翌朝7時半にパリ北駅に行く。そいて事務所に行って数字の書かれた紙切れを見せて事情を説明する。事務所の人は、マスターキーを持って、そのロッカーのところに来て開けてくれた。私は一日ぶりに私のバッグと再会することができてホットした。今日もバリに滞在することを決めて、オッセー美術館に行った。入り口に大勢の人が並んでいたので、ベルサイユ宮殿にいくことにして、ベルサイユに向かった。


けんちゃんの日記ロンドンとパリへ行く。(1995年3月26日~)2013年6月27日(木)

2013-06-27 05:41:50 | 日記
ロンドンとパリへの旅 3月26日~4月5日(1995年)

3月26日(日) 

 12時30分発の全日空機で出発,羽田着。羽田からリムジンバスで新宿に着く。紀伊国屋で,ヨーロッパの列車時刻表を買う。午後3時の列車で成田空港へ行く。 第二ターミナルで降りて,30分近くバスを待って,そのバスで成田全日空ホテルに向かう。午後10時に成田全日空ホテル着。

3月27日(月)

 午前12時30分に成田空港を出発して,5時間が過ぎました。飛行機には,400 名ぐらいが乗っていて満席です。ロンドンまで12時間の旅です。

  今,ロシアのシベリア上空を飛んでいます。7時間が過ぎました。

  今,ロシアのモスクワ(首都)の上空を飛んでいます。窓から外を見ると雲しか見えません。雲がないときには,道路や白い雪が積もっているのが見えます。あと3時間で ロンドンに着きます。

  ロンドン時間の午後4時半にヒースロー空港につきました。空港には,案内の日本人 が来ていて,バスが準備されていたので,乗り込みました。午後6時には,アールズ・ コートインターナショナルホテルに着きました。私の部屋は730です。ホテルの外に 出たら,とても寒いです。ズボンを二枚重ねて、つけて、背広の上からコートを着けました。ホテルの近くで,7elevenを見つけて,ミネラルウォーターとチューインガムを買いました。疲れていたので,9時頃には眠りました。

3月28日(火)

  午前中はバスで市内観光。料金はすでに支払ってある。午後は大英博物館で過ごす。とても寒く,大雨である。

3月29日(水)

  午前10時頃にウォータールー駅に着く。ウォータールー駅を12時30分に出発して,英仏海峡の海底トンネルを通って(約20分間で通過)パリに着く。パリ北駅の向かいのホテルに宿泊する。宿泊代400フラン。約8000円。ロンドンからパリ間は,列車で3時間です。

3月30日(木)

  地下鉄や列車やバスがストライキだと聞いた。30分以上もタクシー乗り場で並んだ。 ようやくタクシーに乗ってルーブル美術館に行く。帰りも交通渋滞でタクシー代100フランもかかった。約2000円。

  昨日よりはきれいなホテルに泊まった。日本円で9000円。凱旋門のすぐ側まで行きました。近くで見るとかなり大きいです。

3月31日(金)

 オッセー美術館に行ったが,入口で並んでいたので,ベルサイユ宮殿に行くことにした。

  地下鉄でキップを買ってベルサイユに行く。そして午後4時頃にはパリ北駅に戻る。それから列車でロンドンに向かう。ロンドン~パリの片道の料金は80ポンドです。(2等料金)80×150=12000円です。

  列車は海底トンネルを通ってロンドンに着きました。30分近くも列車は遅れました。 午後10時ごろにホテルに着きました。すぐ寝ました。とても疲れていました。

4月1日(土)

  起きたら午前6時でした。7時間近くも寝ることが出来たのはここに来て初めてです。 いつもは午前3時,4時にはおきていました。風呂に入って,朝食を食べました。朝食はバイキング式で,旅行費用の中に含まれています。

  教え子(高校3年の時)のTYさんに電話して,待ち合わせをしました。人類博物館を案内してもらいました。たまたま,日本アイヌ展が開催されていました。それからナショナルギャラリーに行きました。TYさんは美術に詳しいので,解説をしてもらって,とてもためになりました。

  中華街で,ベトナム料理を食べました。二人で30ポンド。約30×150=4500円です。スープがとてもおいしかった。それから,大きな教会の礼拝堂でクラシックを聞きました。9時頃に終わって帰りました。

 その後、私はアールズコートの地下鉄までは行くことが出来ましたが,駅を出てから 道に迷って,結局はタクシーに乗って夜12時ごろにホテルに着きました。約2時間近くさ迷よっていました。

4月2日(日)

  午前中はLondon Dungeonというお化け屋敷に行きました。

  午後からマダムタッソーのろう人形館に行きました。それから中華街でドリアン(約 1300円)を買って,(今ロンドンに住んでいる)YGさんと一緒にTYさんのアパートを訪ねました。地下鉄ゴールデングリーンで降りて,10分ぐらい歩いてTYさんのアパートに着きました。2時間ぐらい話をしてからTYさんの家を出ました。それから 地下鉄に乗ってホテルに帰りました。

4月3日(月)

 午前10時頃にホテルを出て地下鉄でオックスフォードストリートに行きました。た またま,オモシャで世界的有名なHamleysを見つけて,そこに入る。

 1時半にはホテルに戻る。そして3時頃にバスでヒースロー空港に向かう。午後4時 空港着。

 ロンドンを午後6時発の全日空機で出発。帰りも満席です。これから12時間を飛行機で過ごします。飛行機の中では,NHKニュースも見ることが出来ます。週刊誌も新 聞も読むことが出来ます。

  ロンドンの市内にある公衆電話から,テレホンカードを入れて,

 0081 98 889-4888と番号を回すだけで,沖縄につながります。3分間 かけて3ポンド(3×150=450円)ぐらいです。声もはっきり聞こえます。それで,ロンドンにいても沖縄の近くにいるような気がします。

  今,機内からサンクトペテブルグ(旧レニンブラード)の明かりが見えるとのアナウンスがありました。ロシアの上空を飛んでいます。

  福岡県の会津若松の上空を通ってしだいに,高度を下げています。午後1時半(日本時間)に成田空港に到着しました。

4月4日(火)

 午後1時半に成田空港に到着。入国審査は,すぐ終わりました。ヒースロー空港で預けたボストンバッグを取って出ました。バッグは宅配便で自宅に送りました。3000円でした。3日後には届きました。

  昨日の午後6時にホースロー空港を出発して,12時間も過ぎていますが,ぜんぜん 寝てないので,とても疲れています。成田から,エキスプレスで新宿に向かいました。 90分後に新宿に着きました。午後7時に歌舞伎町のクインズホテルにチェックインしました。

4月5日(水)

  午前7時に起きて,午前9時にホテルをチェックアウトする。SONYプラザ(渋谷)で買い物をした。それから羽田空港へ浜松町からモノレールに乗って向かう。

  飛行機は12時30分に離陸して,那覇空港に3時15分に到着しました。私の11日間のロンドンへの旅は終わりました。

※ 旅行会社に払った費用

    スタンダード  一人部屋追加料金  3泊追加  保険料

    148,000 + 22,000 + 5000×3 + 2700

   =187,700円(朝食付)


1983年6月。組織のリーダーについて。2013年6月23日(日)

2013-06-23 06:11:28 | 日記
 同じような組織があったとしよう。一方は有能で人間味ある指導者。他方は能力のない利己的な指導者。一目瞭然である。前者は組織が有効に機能するが後者はバラバラになってしまう。極端な例ではあるが‥‥‥。私たちの身近な例で考えてみよう。
 だれがルーム長になるかということがクラスに大きな影響を与える。もちろん。良い指導者であってもクラス全体の協力がないとうまくいかない。組織の頂点に立ってそれを動かす人間がどのような人間かということも重要である。ルーム長の場合は給料も権力もない。奉仕的な仕事である。自分の貴重な時間を削らなければならない。だれがルーム長になるかは、クラスの選挙で選ばれるのだから選ぶ人達の真剣な態度が必要なことはいうまでもない。
 私が言いたいことは、組織だけが強調されて人間の役割が軽視されがちなので、そのことが多くの人につまらなさを与える。人間によって組織は大きく変わる。もちろん、良い組織をみんなの知恵で作ることも必要だ、人間ってすばらしい。1980年代は人間が見直される時代だ。

けんちゃんの日記(1980年12月)1年2組の生徒について・No2・2013年6月22日(土〕

2013-06-22 12:51:51 | 日記
 1980年12月に書いたものです。
   忘れ得ぬ46人。No2
(32)マスコット作りが好き。
(33)おっとりしていて良妻賢母型。
(34)子供が好きです。保母になりたい。
(35)タレントのものまねがすきです。
(36)私は水泳では名護高校で5本の指に入ります。もっと体重をつけてパワーをつけ    たい。
(37)お母さんの教育方針をよく理解してみずからも実行している。
(38)スポーツウーマンで気が強く、いつかは世界を征服する。
(39)この人もスポーツウーマンでバスケットを死ぬほど愛している。
(40)モナリザのように、いつも微笑がある。
(41)おしゃれな女の子。
(42)いたずら電話が好き。
(43)空手で何回も九州に行く。
(44)世話好きな女の子。
(45)漫画が上手でませた女の子。
(46)ゆくゆくは花嫁さんになりたい。

(1980年12月)名護高校1年2組の生徒について。No12013年6月8日(土)

2013-06-22 11:07:37 | 日記
  名護高校1年2組の生徒について。No1 1980年12月に書いたものです。 
忘れ得ぬ46人。ひとりひとりの簡単なコメントが残っていました。紹介します。
(1)いつも望遠レンズを見て、ETを探している。
(2)全沖縄駅伝大会で区間2位に入る。顧問が一番期待している男
(3)正直で気がやさしい。来年は試練の年になる。
(4)何を思ったのか3学期の書記に立候補した。
(5)夏のキャンプでは、エツチぶりを発揮した。
(6)クールな男だが、時々は感情を爆発させる。
(7)ニヒルな男
(8)1にテニス、2にテニス、3になし。
(9)将来は外交官になって、キッシンジャーのように世界を駆けめぐる。
(10)源河の出身でヒゲが大好きです。
(11)仮装行列ではヤンバルクイナを作る。
(12)話し方が面白く、伊江島の星である。
(13)なにを考えているのかわからない、不気味な男。
(14)毎朝新聞配達をして体を鍛えている。
(15)兄さんが江川にソツクリ。ゆえにI先生から好かれている。
(16)時々変なことを言う高校生。
(17)仮装行列ではエレフアントマンを演じた。お母さんは保育園を経営している。
(18)柔道一直線。アマチュア無線をする。
(19)中学時代は陸上の天才。今は平凡になっている。
(20)クラスで一番早く学校にくる。何かを考えていると思うが、まだ分からない。
(21)細い体でなんでもできるスーパーウーマン。
(22)明子のお姉さんもよく知っている。
(23)晴子の家には犬がたくさんいた。
(24)食べることが好きである。
(25)かっては少年マガジンの主人公だった。
(26)5000円をなくしたが、見つかった幸運な女。
(27)英語が大好きでI先生のようになりたい。
(28)ベルサイユ宮殿ですんでいる女王である。
(29)おとなしいが卓球でハツスル。
(30)お父さんは中近東で活躍している。
(31)読書だけが生きがいなの。 あと15名はNo2で。