仲里朝章・1957年4月首里・戦争責任胸に再出発・No2
「A級戦犯者はすでに裁かれて絞首刑台上に露と消えた。しかし吾らはB級C級D級の戦犯者ではないか」。
多くの教え子が戦争に駆り立てられ、戦場に命を散らしていった。自らの教育の結末を見た仲里朝章(故人)
は戦争責任を感じていた。
1950年7月、仲里は糸満教会発行の伝道誌「ゴスペル7号」で自己批判した上で「平和を希求する前に、
吾らの魂の中に潜在する戦争を生む罪のバイキンを殺菌する必要がある」と指摘。教育者として人格教育
に取り組む覚悟をにじませた。
沖縄戦から12年たつ57年4月、首里当蔵町の首里教会内。キリスト教を基に「沖縄を国際的平和の島に」
とうたう各種学校「沖縄キリスト教学院」が開学した。教会を間借りし仮説感は拭えなかったが、
設立に奔走し初代学長に就いた仲里にとってキリ学は戦後沖縄を照らす光だった。学校では経済学を担当。
郷土復興の在り方を説き続けた。毎朝4時に起きてキリ学の発展を祈り続けたという。
45年6月、米軍に収容された仲里の戦後は現宜野座村の収容所で始まった。生き残った教師らの協力を
得て現在の宜野座高校を立ち上げ、校長に就いた。
仲里が作詞した宜野座高校歌に当時の思いが託されている。「正義と愛の誠持て、我らの使命果たさなん、
いざ起て友よ永遠の、平和の業にいそしまん」
教育者としての役目を果たそうと意気込んだが、47年に辞職。戦争を挟み大きく揺れ動いた価値観の中、
これまで信じてきた教育勅語という柱が否定されたことの挫折感は大きかった。
48年手記に「教育の目標を何辺に措くか全く混沌状態に陥れり」とつづっている。
戦後教育への苦悩の末に、仲里は新たな教育の柱をキリスト教に見いだした。
「平和を貫く道は宗教以外にはない。国の対立に愛と慈悲を」との思いがキリ学設立につながった。
仲里は教育者としての反省を家族にはほとんど語らなかった。長男朝治(71)=那覇市は
「父は多くを語らなかったが、過去の反省を教育者として行動で示した。」と振り返った。
キリ学は59年には短期大学に昇格。2004年には4年制学部も設け、総合大学に発展した。
沖縄戦で失った教え子の命を胸に、戦後教育者として独自のアプローチで教育に挑んだ仲里。
73年2月に82歳で逝去した。あまたの犠牲の反省の上につくったキリ学が、本土復帰後も
引き続き存続できたのを見届けた直後だった。
(本文敬称略)
(知念征尚)
「A級戦犯者はすでに裁かれて絞首刑台上に露と消えた。しかし吾らはB級C級D級の戦犯者ではないか」。
多くの教え子が戦争に駆り立てられ、戦場に命を散らしていった。自らの教育の結末を見た仲里朝章(故人)
は戦争責任を感じていた。
1950年7月、仲里は糸満教会発行の伝道誌「ゴスペル7号」で自己批判した上で「平和を希求する前に、
吾らの魂の中に潜在する戦争を生む罪のバイキンを殺菌する必要がある」と指摘。教育者として人格教育
に取り組む覚悟をにじませた。
沖縄戦から12年たつ57年4月、首里当蔵町の首里教会内。キリスト教を基に「沖縄を国際的平和の島に」
とうたう各種学校「沖縄キリスト教学院」が開学した。教会を間借りし仮説感は拭えなかったが、
設立に奔走し初代学長に就いた仲里にとってキリ学は戦後沖縄を照らす光だった。学校では経済学を担当。
郷土復興の在り方を説き続けた。毎朝4時に起きてキリ学の発展を祈り続けたという。
45年6月、米軍に収容された仲里の戦後は現宜野座村の収容所で始まった。生き残った教師らの協力を
得て現在の宜野座高校を立ち上げ、校長に就いた。
仲里が作詞した宜野座高校歌に当時の思いが託されている。「正義と愛の誠持て、我らの使命果たさなん、
いざ起て友よ永遠の、平和の業にいそしまん」
教育者としての役目を果たそうと意気込んだが、47年に辞職。戦争を挟み大きく揺れ動いた価値観の中、
これまで信じてきた教育勅語という柱が否定されたことの挫折感は大きかった。
48年手記に「教育の目標を何辺に措くか全く混沌状態に陥れり」とつづっている。
戦後教育への苦悩の末に、仲里は新たな教育の柱をキリスト教に見いだした。
「平和を貫く道は宗教以外にはない。国の対立に愛と慈悲を」との思いがキリ学設立につながった。
仲里は教育者としての反省を家族にはほとんど語らなかった。長男朝治(71)=那覇市は
「父は多くを語らなかったが、過去の反省を教育者として行動で示した。」と振り返った。
キリ学は59年には短期大学に昇格。2004年には4年制学部も設け、総合大学に発展した。
沖縄戦で失った教え子の命を胸に、戦後教育者として独自のアプローチで教育に挑んだ仲里。
73年2月に82歳で逝去した。あまたの犠牲の反省の上につくったキリ学が、本土復帰後も
引き続き存続できたのを見届けた直後だった。
(本文敬称略)
(知念征尚)