腹話術人形けんちゃんの日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

Amazing grace 2012年11月27日

2012-11-27 19:28:43 | 日記
 John Newton(1725~1807)は、奴隷船の船長をしていたそうです。
ある時、大嵐にあったそうです。船は、今にも沈みそうになります。
John Newtonは、神に祈ります。助けて下さい。二度と奴隷船の船長は、しませんからと。」
船は沈みませんでした
 その彼が回心して牧師になりAmazing graceを作ったそうです。
Amazing grace how sweet the sound.
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found.
Was blind but now I see.

生きていればなんとかなるさ!2012年11月23日

2012-11-23 16:54:04 | 日記
生きていれば何とかなるさ

私には明治13年(1880年)生まれの祖父がいた。本土復帰2年前の1970年に90歳で天寿を全うした。

 私が22歳の時だった。ずっと一緒に住んでいたので、祖父の生き方を身近に見ることができた。

 時々、祖父の部屋を訪ねて話を聞いた。東京に留学していた頃に、寮の友人に「どこから来たの」と尋ねられて、

「沖縄から」と言うと、「よく探して来たね」と言われたとのこと。

 ポーツマス条約の内容に不満を持った民衆が、日比谷の交番を焼き打ちしている現場にも居合わせたとのこと。

 「七,八十は若者のくばい、九十からは天下御免」。祖父の作った硫歌である。

 人間は何もしなくても歳をとっていけば成長していくものである。沖縄県内で毎年300人以上の人が自殺をしている。

七,八十でも若者なのに、五、六十代で自分の命を絶つなんて。

生きていれば、時間が解決するものである。

与えられた時間を「なんくるないさ」の精神で生きていこうと思う今日この頃です。

補充教員の悲哀 2012年11月22日

2012-11-21 22:43:18 | 日記
私の名前は産休補充といいます。私は家庭科の免許をもっており、4月8日から某高校で勤めています。私の友人に「病休補充」と「研修補充」がいます。国語と英語を担当しています。私は7月25日に退職となり夏休みは給料もありません。
 私の最も親しい友人に「自宅待機」という人がいます。去年は4ヶ月間の補充についたそうですが、今年の4月からは補充の仕事がなく、いつも家でブラブラしているそうです。
 国際通りを散歩している時に友人と会うのが楽しみだったが、今年は「何をしているの?」と尋ねられるので対人恐怖症にかかっているとその友人は言いますが、補充教員のみんなが同じ気持ちだと思います。
 近所の子供たちが元気に学校に出かけるのを見ると「ちくしょう。仕事がしたい。」とあせるのです。
勇気をふりしぼって教育庁に行きます。以前、某高校で教諭をしていた先生が補充配置の係りで、「今は厳しいから別のアルバイトでもしたほうがいいよ。補充の仕事がある時は、こちらから電話をします。」といつも同じことを言います。
 今日こそは教育庁から電話がかかってきますようにと祈りながら毎日を過ごします。何の連絡もないので、東京でアルバイトをしようと思って沖縄を出発しようとした直前に電話がかかってきました。
 「八重山に補充の仕事があるのだけど行かないか?期間は1ヶ月だけど。」
 「はい、行きます。」と二つ返事で引き受けました。
遠いところですが教員をすることができると思うと楽しくなりました。

2012年11月21日・好きだということと学問をするということは別である・

2012-11-20 23:43:52 | 日記
      
 私は動物がとても好きでした。ネコを飼っていました。そのネコは12年程生きてから行方不明になりました。私が寝ている時には、私の顔をふみつけながら、ふとんの中に入ってきました。犬も飼っていました 。間違って犬のシッポをふんだ時には,「ごめんなさい。」とあやまりました。私の悩みがある時は、その犬に語りかけました。もちろん犬はしゃべりませんが、いつもうなずいてくれました。その犬は私が京都にいる時に,行方不明になりました。そうとうショックを受けました。実は私は京都で夢の中で犬が殺される夢をみて心配になって沖縄にすぐ帰りました。
 そして母に、「犬は元気ですか。」と問うたら母は冷静に「急にいなくなったよ。」と言いました。動物が好きで畜産学科に入学をしました。ブタの解剖の実習をしました。それはとても残酷でした。八名の学生がブタをとりおさえて教授が包丁を首に刺すのです。血がたくさん出てきます。それでもそのブタはなかなか死にません。地獄からの声ともつかぬ悲鳴をあげてとうとう死んでしまいました。ブタの毛をそり、皮をはいで筋肉組織を勉強しそれから骨をとりだして骨の勉強をしました。 
 犬は、古波蔵の強制収容者(金監札のついている犬を収容するところ)からもらってきて解剖をしました。これもとても残酷でした。それからブタを殺す場所を見学しました。そこでは電機ショックをかけて気絶させてからメチャクチャに解体をしていました。もちろん消費者に売るために。
 このような体験を通して私は畜産学科が嫌いになり、退学をしました。将来のことを考えると心配だったのですが、残酷なことをしないだけでもよいと思いました。