現場を離れたのがおよそ23時くらいかな
次の日は休みなので
丸一日かけて東京まで走って帰ればこの旅は終了
ただ、俺自身もバイクも
満身創痍
とにかく言えること
俺自身この時点で相当寝てない。
非常事態になっていたので
人間としての危機意識の中に居たので
興奮状態のため疲れをあまり感じてはいなかったが
実のところ
炎天下で睡眠は青森へのフェリーの中での無理やり仮眠2時間ってところから
一睡もしていないわけで
もうかれこれ24時間近く起きている。
限界を感じてはいたが
停まって寝れるところがない。
この旅の最初からコンセプトとして
テント泊
キャンプ場で泊るという形で動いていた。
なので当初予定していたキャンプ場以外の場所で
何処に泊ったらいいのかっていう
プランがあまりないんだな。
当初の予定で泊まることを想定したキャンプ場までは
片道2時間以上
100キロ以上ある。
そこまで俺が起きていられる自信はなかった・・
てきとーなところで停まってテント張ってっていうことは
流石に俺にはできない。
最後が実は一番過酷だった。
一番近いネットカフェも仙台もしくは盛岡
片道で100キロは堅いところばかり
田舎なゆえに人は居ないから
道端に停まって
縁石に座って気が付いたら意識がなかった。
みたいな状態で
何度かバイクを降りては休んだ。
そうでもしなければ
先へ進むことは無理だった。
それに
パンクを修理した時にリアブレーキが
完全にはなっていないので
リアブレーキを使わない状態で乗っている
少なくともこれを完全にするまでは
まともに移動は出来なかった。
とにかく
早く街へ行きたかったんだが
前にも書いたが自動車専用道路にはあまり乗りたくなかった。
リアのブレーキの問題もあるんだが
眠気が出て走っていられなくなる。
かと言って
自動車専用道路の途中で停めて休むわけにはいかない。
そうなると
一般国道を走っている方が安全なんだよね、
眠くなったら即停めて道端で休めるから
普通に走っているのの何倍も時間がかかっているのはわかる、
それでも
とにかく前に進むしかなかった。
ようやくゆっくりできるところを見つけて
ここで日が昇ってくるまで
待機していた。
全く予定はしていなかったが
俺は遠野に居た。
この先の記憶が実はあまりない。
道の駅東和っていうところで
朝温泉が早くからやっているというのを探して見つけたので
そこへ向かった。
汗だくでようやく風呂に入れて
首回りが信じられないほど真っ黒だったのにびっくりした。
少しだけ
回復して
日が昇ったこともあって
なんとか走る気力も戻って
家に向かって再出発して
まず、ホームセンター、とは言え見つけたのはダイソーだったけど
そこで
針金を買い
リアブレーキの仮処置をして
とりあえず踏んでも問題ない状態にして
走れるようにして再スタート
仙台をいつの間にか超えて
いつもの村田の脇通って行くルートで福島へ
開成山公園にちょっと寄り道して
タカラッシュネタを一個だけ片付けて
まぁほとんど休憩がてらだけど
そこで休んで
最後の家に向けてのラストランだったけど
いつも通りの道で帰ってきている筈なんだけど
全然記憶にない。
とにかく、病気になっていた。
全然スピードが出せないし
すぐに曲がるんだ。
それも意識してない、無意識で
勝手に曲がって
停まっている。
気が付くと道端で停まっているんだ。
何故ここに居る?
みたいな状態で意識が戻って
恐らく身体が限界だったんだと思う。
だから勝手に危機回避していた。
まともに走れない状態になっていた。
それでも気が付いたら家に居た。
見慣れた地元へ帰ってきていた。
自分のバイクで北海道まで
走って帰って来れた。
大体のおおよその計算で
71,96リッターのガソリンを給油している
ガソリン代だけで12086円
18きっぷよりも北海道東日本パスよりも
安いかもしれない。
パンク修理の関連がなければ
費用はかなり抑えられていたと思うし
フェリー代は往復で1万ちょっと
あとは函館の勝負でのマイナスはこの旅とは関係ないけど
まぁあれのせいで
かなり節目になってしまったが
実際のところは
函館でワークマンによって服を調達している。
これが実は結構かかっているんだけど
流石に
これは東京で準備をして行けば良かったんだけどね。
暑いのか寒いのかっていうのは
やっぱり実際に走ってみないと分からない部分がある。
本州は暑い、北海道は寒い、
そんな感じなんだよね。
でも、日中はもれなくどこも暑い。
ただ、朝晩は北の方はかなり冷えるので
こっちの夏の恰好だと寒くて走れなくなる。
でも装備を増やすとこっちでは邪魔になるし
難しい問題だと思った。
あとはバイクで危ないからっていうのもあるけど
それよりも日焼けの問題で
肌を出しているのはキツイ。
ハーフパンツのズボンを履いていたんだけど
見事に日焼けして
痛くて風呂に浸かれなくなっていた。
最後に
本当に色々な方にお世話になりました、そして
ご迷惑をおかけしました。
無事帰って来れました。
いつか再会する機会などありましたら
全力でお礼させてもらいます。
帰ってきて撮った最後の写真
リアブレーキの無理やり修理の箇所
たまたま買った
バルブ取り出しツールのステンのケーブルが千切れない強度だから
役に立った。
てなわけで
ようやく壊れたパーツ発注することにするわ。
暫く乗らなくていいかなって思ってるから