それでも・・

ここに日々の全てを記す

その後に訪れた光

2009-04-02 11:00:42 | 過去のこと
就職を諦めた俺は
バイトを始めた、

結構長い時間スロットをメインにやっていた、
まだこの後も暫くスロットメインの生活を
続けてはいたが
少なくとも
したくもない就職を意識しないで生活したのは
俺にとってはよかった、

そして
この年の春、
転機となることが起こる、

PCを自作する、

なんだそりゃ?
って思うかもしれないが
言い方を変えればインフラが整備された、
インターネット世界が俺の前にやってきた、

これによって
身体のことに関しても
人との付き合いという事に関しても
大きく変化を遂げる、

もうかれこれ10年前くらいのことなのかもしれないが

それ以降
同じ状態の人とネットで知り合って
オフ会に行ってみたり
メールをしたり
色々なことがあった、

とにかく、身体がない状態で
人付き合いができた、
これは俺にとって普通な人になれる
とても素晴らしいものだった、

今になっても
何も変わっていないのは
俺だけ・・・
そんな風になってしまっても
少なくともこの10年はその前までの
時間に比べればとても楽しかったし
充実していたと思う。


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俺は一体・・・

2009-04-02 10:18:05 | 過去のこと
再手術後、生活に変化は・・・

もちろんありません、
何せ手術中、手術後、周りの態度や反応を見ていれば
何も変わっていないのは明らかですから、

でも、何を言っても無駄です、
俺にはある病名を告げるでしょう、

この病院のサイトへ飛んで文章を読んでみれば
まさに俺のこととぴったりくる
クレーム処理が書かれています、

腋臭でなければ→自臭症

俺は心の病です、

正直な話、これを疑っていなくはないです、
当時もそうでした、

それは証拠がないから

臭いって目で見えません、
人が反応をしたからと言って
それが俺のせいであると
確証があるわけではない、

でも反応はされます、
幻聴ではなく言われることも数限りなくです、

それでも、俺自身が思い込んでいるだけなんだろうか??


再手術後の俺はそんなことを考えていました、
そして
心療内科へと行くことに、

初めに何とかテストとか言うのをやったような気がする、
知能テストと心理ゲームが混ざったようなものだった、
文章を答える方は
自分でいくらでも操作できるような気がする、
例えば物事をくよくよ思い悩む方ですか?
なんて質問に4つくらいの答えがあって
どれかを選んだりする感じだったと思うが
いくらでも違う答えを選らべば
医者の見解は違うものになるんじゃないだろうか・・って
思った、

まぁそんなのはどうでもいいんだが
問診で今までのことや
今の状況を話してみると
医者は
全然臭いはしていないねぇ、
気にしすぎだろう・・・

という答えが

その場でそう言ってもらえるのは
嬉しくなくはないが
結果としては何も解決にならない、

で、対処としては薬が出てくる、

気にならなくなる薬、
らしいが
だいぶ前なので薬の名前とかは忘れた、

初めの頃は真面目に飲んでいた、
少しは何かが変わるのかもって
信じていた、
でも、実際は何も変わらなかった、
残念だけど
現実に起こっている目に映るものや
耳から入ってくる言葉が
気にならない、もしくは聞こえなくなる
なんてことはありえないわけで・・・

まぁ、それでも何度か医者には行った、
すると更に強い薬を出してきた、

意味がなかった

話は前後するがこの頃が
俺が唯一就職活動をしていた頃で
何回かしたくもない面接をして
薬は全然意味がなく
いや、
薬は効いてはいたのかもしれない、
アソコが起たなくなったか、
もしくは逝かなくなっていたと思う、
そういう意味では薬の効果はどっかしらには
あったんだと思う、



全てが嫌になっていた、
正直、何も解決策のなくなっている
今よりもあの時の方が
辛かったと思う、

自由がなかった、

そして薬を勝手に止め
引きこもり
薬を止めた副作用かなのかはわからないが
最後には
カミソリで手首を切り
階段から転がってみたり


まぁそういう思想はあの頃からではない、
中学の時にこうなってから
ずっとではあるが

ただ生存しているだけということには
まるで意味がないということ
生きていることが罪もしくは
罰を償っているかのような日々になってしまうこと

もっと好きなことをして楽しく生きていたいと
純粋に願うこと

あの時の俺を親は見て
諦めたんだと思う、
普通の社会人にはなれないんだと、



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俺の認識と他人の反応

2009-04-02 09:43:34 | 過去のこと
再手術をして結果がどうだったか?

その前にそれ以前からの自分の認識と
周りの反応の話を詳しく書いておかなければ
ならないかもしれない、

俺は思春期、いや正確には小学生の3年頃から
腋臭だった、
これは間違いない、
そして中3で最初の手術をしたんだが

この時点で脇の黄色い汗染みなどはほとんどなくなった、
汗の量は正直あまり変わらないが・・

そして1度目の手術後
自分で感じる腋臭の臭いという意味では
元が10だったとすると
この時点で2~3になったと思う、

よく、ネットでこれ系の事を調べると
多くの人が再発とかっていうことを書いているのを
見かけるが
俺の実体験と医者の見解から
言えば再発はない、
少なくとも汗腺を除去する手術方法を取った場合は
再発はないと思う、
それはかれこれ初めて手術をしてから
もう20年近く経つが最初の状況に戻ったことは
ないから、

じゃ、何なのか、
それは簡単に言えば取り残し

手術方法、
俺の場合は手術方法があえて完全に取らない方法だった、(過去日記参照)
もしくは術者のレベルで取りきれなかった、等が
考えられる、

あとは今ではあまりやらなくなったが
未成年時、成長期の手術で手術後身体が成長することで
汗腺も発達したので結果、取り残しという形になる、

さて、
ちょっと話が違う方向へいったが
ここまでの論理と自分の認識には
何の問題もないし、
間違いではないと俺は自信を持って言える、

しかし、実際に現実で俺の前に起こっている出来事は
これとは全く違ったものになっている、
それが俺の最大の問題であり
一番の悩みでもある、

上の文でも書いているが
小3の時から腋臭だった、
そして中3で手術をした、
10だった臭いは2~3になったと思う、
そして、それでも気になると訪れた病院で
俺は片方再手術、
これの結果は2~3がほぼ0になった、
しかしそれは片方だけだけど、
つまりもう片方はまだ2~3だったけど、

でも、大事なのはこの再手術で
2~3がほぼ0になったと
俺自身では自覚している、っていうこと

つまり、手術をしたことで
結果が変わったと自分自身では認識しているということ、
これは事実です、

さて、どうしてこんなことが大事かということなんですが

過去の日記を振り返ってもらえばわかるんですが
俺は最初の手術をした時に
手術後すぐにまわりから治っていないとか
臭いがしているとか
言われています、

しかし、自分自身ではやる前とやった後で結果が違うというのを
認識しています、

この最初の手術をした時から
俺の認識と周りの反応で誤差が生じ始めたということになります、

そしてその誤差は今になっても決して埋まることはなく
俺を苦しめています、

今の話は日々の日記で書いているので当時の話を続けます、
この再手術の時も
明らかに反応をされていました、
手術中も、その後も
看護士さんは俺の診察券を見て

「片方だけなんですか・・・」と
意味深な言葉を言っていました、




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再手術

2009-03-30 11:53:33 | 過去のこと
前に書いていたこのカテゴリーの話が
どんな感じで書いたのか忘れてしまったので
話が上手く繋がらないかもしれないけど
とにかく再手術辺りの話から

たしか24位の時だったと思う、
職場で散々に言われたから
どうにもならなくなって再び以前手術した病院を
訪れた、

医者も院長が世代交代しており
過去の院長ではなかった、
以前腋毛を残す手術をしたのを見て
毛を残すと臭いも残る可能性が高い、
今はその術式はしていない、
と言われ
気になるのなら再手術をしましょう、と言う話になった、

で、当時自分では気になっていた左脇を
再手術することに


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楽しい場所も・・

2009-03-30 11:39:41 | 過去のこと
たとえ成り行きな部分もあったにせよ、
俺はバイクに乗ってコースを走るのは嫌いじゃなかった、
何より仲間がいて
楽しい空間がとても良かった、

でも、それはいつまでも続けていくことが難しいと
俺自身が一番わかっていた、

まず資金が破綻、
もちろん仕事をまともに続けられないんだから
スロットを頑張ったところで
限界はある、
そして何よりもチームという形で活動をしようとして
人を入れた事で
結局俺の居場所がなくなってしまった、

もちろん、そこに存在し続けることは可能なのかもしれない、
でも、俺自身ちっとも楽しくはない、
嫌がられながらそこに存在して
一体何の意味があるんだ、

結局俺はチームを離れ
レースは止めた、

目的を失った俺は真剣にスロットで食って行こうと
そちらの道へ入る、

でも、全く社会と離れてしまうのもマズイと思ったのか
ポツポツ短期の仕事はしていた、
でも、俺の身体への対応はほとんど変わらず
常に居場所のない状態だった、

それでも、スロットは結構真剣にやっていたと思う、
年間で波があって
厳しい時もあったけど
数年はこの生活をしていたと思う、

しかし、短期でやった仕事で
かなり酷い言われようをして
今でも覚えているが
「あの人と同じ部屋では仕事ができない」と
上司に言われ
さすがにこれを聞いた時はかなり凹んだ、

この後
俺はまた以前手術をした病院を訪れることになる、


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変わらない現実

2009-01-29 15:06:35 | 過去のこと
専門に行っていた時
一人の仲間と知り合っていた、

彼は純粋にバイクが好きで
特にレースをすることを目標に学校へ通っていた、
そんな彼と知り合った俺は
卒業したら一緒にレースをしようと
約束していた、

フリーターになった俺は
色々な仕事をしていた、
しかし、元々の身体のことがあったので
相変わらず女性と一緒に居る職場は怖かった、
それに人とずっと一緒にいるようなところも
避けていた、

なるべく電車で通勤するようなところも
行かないようにしていた、

必然と職種は絞られ
初めのうちは
定着を考えて長期のバイトをしてみたが
それも上手くいかないと感じるようになり
時代的に日雇いや登録派遣なんかが
増え始めた時期だったので
次第にそっちの方へ流れるようになった、

この時代の俺は
正直いつ何をしていたのか
履歴が残っていないのと
日記を書いていないので
よくわからない、
会社はかなりの数に行ったと思うし
軽作業はかなりの種類をしたかもしれない、

登録派遣に移行して行った理由に
普通の仕事は履歴書出して面接、
合否判定で仕事開始となるので
受けてから仕事を始めるまでのプロセスが
長かった、
これが確実に受かるならばいいのだが
そうではないので
無駄な待ち時間が増えてしまうというのが
デメリットだった、
それに
実際に働き出しても
環境に適応できない、というか
簡単に言えば身体のことで居場所がなくなり
辞めていく場合はほとんどなので
結果短時間就労で給料も貰えないみたいな
ことが多かった、

この時代の俺が思っていたのは
お金が確実に貰えないところなんか
行っても無駄だと
言う考えだった、

日雇いの給料を考えると
この時期にやっていた
スロットの方が
確実に一日単位、月単位で考えても
お金になったので
そちらでレース費用を捻出することが多くなっていた、

しかし、
23か24の時だったと思うが
この生活にも転機が訪れた


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大人になって

2009-01-29 14:56:33 | 過去のこと
学校を卒業はできた、
しかしほんの何ヶ月前まで退学するつもりで
いた人間が
就職活動なんかしているわけもなく

一応表面上はレース活動をするから
という理由で
就職せず卒業した、

しかし、確かにレースはしたかったんだが
この時点で学生時代の職歴は2つくらいしかなかった、

学校もまともに行けない人間が
仕事なんかできるとは到底思えなかった、

ただ、そこまでに2つしかバイトをしてこなかったのが
逆に良かった部分もあった、
頭では無理だろうと
考えてはいたが
実際にダメだったと言う経験がなかったので
とりあえず仕事を探すことも仕事に就くことも
それほど躊躇うことなく
踏み出してはいた、

そして実際にレベルは高くはないにせよ
レースも少しの間はしていた、

今思えば
何にもないまっさらな社会人一年生が
フリーターという名前の職業になった
ということなのかもしれない、

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学生時代後半

2009-01-17 14:27:44 | 過去のこと
高校は工業でほとんど俺の行っていた科は
女子がいない
当然俺のクラスは全員男だった、

本当なら悔しがるところだが
あの頃は何となく嬉しかった、

中学の時に大抵俺のことを指摘しだすのは
いつも女子だったこともあり
女性にはこの先ある種の恐怖感というのを
持っていたと思う、

その割には生きている目的は
女性に愛されたい、
なんて思い、
好きな子がいるから生きていられると
当時は当たり前に思っていたし
それがあったから今の俺がいるとも言える、


高校は中学に比べれば比較的穏やかだった、
3年間クラスが変わらないというのも
どっちかと言えば俺に得に働いたのかもしれない、
決して身体のことがなくなった
わけではなかったが
この時の環境にいた人達が
大人な人達というか
学生なんだけど親やその周りの環境が
複雑な人たちが多かったというのもあったのか
寛容に受け入れられていた気がする、

ただ、やはり中学の時、きっかけになった
旅行にだけは
どうしても俺自身嫌な思いがあり
一度目はサボった、
そして二度目は行くには行ったんだけど
この時もやっぱり大変だった、

帰りの新幹線は岡山から東京までデッキで
一人外を見ていたのは
今となってはいい思い出かもしれない、


中学の時に比べれば順調だった高校だったが
3年はあっという間にでもないが
過ぎ
進路を決めなければならなかった、
工業だったこともあり
ほとんどの人は就職だった、
でも俺は今よりも長い時間拘束されて
行けばいいだけの学校じゃなくて
更にそれ以上を求められる環境で
やっていけるなんて自信がさっぱりなかった、

ある意味逃げに近い形で専門学校へ進んだ、

もちろんその分野に興味がないわけではなかった、
資格も取れるなら欲しかった、
純粋に勉強したいとは思っていた、
でも、
俺と言う存在がそこにいるだけで
全てが壊れてしまうなら
それは俺にとってはただの苦痛でしかないし
いくらやっても楽しいと思える日は
永遠にこないだろうと思っていた、

専門学校は二年間通った、
文部省の管轄ではない学校なので
夏休みが短かったり
大学のように休校を沢山取れるような学校ではなかった、
でも、自分の都合で
嫌になったら帰ったりしていた、
この頃はようやく俺も
いい意味でも悪い意味でも「抜く」
ということを覚えたようで
授業はかなりサボって
補修を沢山受けて単位を取っていた、

それでも二年の夏前くらいだったろうか
ついに恐れていたことが起こり
クラス中に指摘されることになってしまった、

学校に行くのが苦痛になり
かなりの時間をサボったと思う、
いい加減どうにもならなくなり
先生との話し合いになり
本当の理由と俺の気持ちを話した、

先生から言わせてもらえば
その程度の理由で辞めるなんて・・
もうすぐ卒業なんだし
ということで
説得をされ
その間の詳細な経緯は忘れたが
何でか最後は胸ぐら掴んで殴りかかる
状態になり
殴りはしなかったが
答えは平行線のまま
親を連れて退学の手続きをする段にまでなった、

その手続きのほんの何日か前に
クラスの人から電話をもらい
「何で休んでいるんだからわからないけど
戻ってこいよ」
と心配され
この言葉で退学するのを思い止まった、

俺の中で思っていた一つの認識が
間違っていたと思えたから
多分戻ったんだと思う、

大した理由ではない、

俺は全ての人が邪魔だと思っていると
思っていた、

でも少なくとも電話をくれた人は
まったく俺のことを嫌悪していなかった、
というか
事情をわかっていなかった、

それに時期的に既にクラス全体で
授業を受けるという時期は終わっていて
資格対策の個別授業の時期に入っていたので
出席のみ確認する自由登校に近い形になっていたというのも
最後まで行けた理由だったのかもしれない、

おかげでその時期に貯まった補講を
長い時間個別で受けるはめになったんだんが
おかげで
無事俺は学生時代を退学という文字なく
終えることができた、


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起こった悲劇

2009-01-16 16:00:04 | 過去のこと
※ 今回の文章はかなり俺の勝手な思い込みが
含まれています、
前後の文章にはない、俺自身がそう聞こえた、
と言う内容があります、
なのでその部分は俺の勝手な思い込みもある、ということを
理解の上で読んでください、


手術の日
俺は全てをそれに賭けていた
これで俺の人生は一変する
そう信じて疑わなかった、

嫌な電車にも乗って病院へ向かった、
確か3日間は入院する予定だった、
軽い麻酔の注射のチェックの後
剃毛
その後術式の説明があった、

ここで今後を大きく左右する選択が
あった、

その時はそんなに大きな選択だとは思いもしなかったが
簡単に言えば
男性は毛がないと変だから
腋毛を残す術式もあります、
そちらを希望されますか?という質問だった、

親はまだ幼い俺のために毛を残す方を選択した、

その後いよいよ手術ということになった、
手術台に寝て
腕を上げ
頭の上で軽く手を組む形になり
上からシートを被せられ、脇の部分だけ穴が開いている、

小さな注射なんだが打つ場所の感覚が鋭いので
かなり痛い麻酔を片方で10本以上は打っていると思う、

皮膚の感覚が麻痺してくると軽く切られて
中に何かを入れられているのが伝わってくる、
器具でゴシゴシ身体の中をかき回されている感覚がした後
締め付けられる感じがして
縫っているのがわかる、
それが終わると片方終了でもう片方と言う感じだった、

当時保険が効かないこの病院でも
大盛況?で
患者は後を絶たないという状況だったと思う、
予約を入れるのもずっと先になっていて
親に無理行って上乗せも積んでこの日に
してもらった記憶がある、

なので同じ日に手術をした人も何人も居た、

手術が終わり病室に帰り
固定されたまま夜を過ごした、
痛くて動きづらいというのもあり
ほとんど寝付けないでいた、
そんな時
病室の外で女性の話し声が聞こえてきた

「ここの人治っていないよね・・・」
「言ってあげようか?」
「・・・・」

これは俺の聞き間違いであって欲しかった
幻聴であって欲しかった、

後々から色々この話を持ち出すと
俺がありえないことを言っていると
言われ虚言癖のある人間だと思われるので
この事は俺の心の中だけにずっと閉まっているが
俺はこの時本当に何もかもが壊れてしまった気がした、

本当ならばこの次の日にでも
医者にこの事を問い詰めて
再手術を促せば良かったんだろうが
俺の中で何もかも信じられなくなっていたし
身体の痛みでまた同じ苦しみを味わうのが
耐えられなかったというのもあった、

とにかく早く家に帰りたかった
何も信じられなかった

これに賭けていた、
人生が変わる、やり直せると思っていたのに

家に戻った俺に
また聞こえて欲しくない言葉が
聞こえてしまった

これもまた妄想や、虚言になってしまうので
当時は激しく問い詰めたが
今は心の奥底に閉まっている

妹「お兄ちゃん、におい・・・」
母親「本人は治ったと信じているんだから・・・」
妹「・・・・」

俺はコタツで寝たフリをしていたと思う、

俺に耳なんて付いていなければ、
本気で当時そう思った、


この日から一定の期間
俺はこの話題で親には相談できなかった、

言っても無駄だと悟ってしまったから

そして
肝心の俺の身体は一ヶ月もすると回復し
普通の生活を送れるようになった、

シャツの脇の黄ばみもなくなり
自分で臭いを感じられなくなった、
以前より遥かに改善されたと実感できた、

ところが現実は違っていた、

手術を終えて学校へ戻ったが
周りの反応はほとんど何も変わらなかった、

中学も受験シーズン
先の事なんか何も考えていなかったので
ただ単に身体のことで傷つかない環境へ
行きたかった、
何校か受けたが
結局都立の工業高校に行くことになった、

中学と言う環境では最低だったが
高校へ行って環境が変われば
良くなるかもしれない、
なんて淡い期待は実際はほとんど持っていなかった


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決断

2009-01-15 16:30:42 | 過去のこと
俺はあの時点でほとんど諦めていた、

中学の時から既に生きているのが嫌だった、
早く死にたかった、

学校では相変わらずだった、
いじめ?
どうなんだろう、
それはいじめなんだろうか

いじめというのはその場、集団の中だけで
起こる出来事で
俺は何処へ行っても同じ対応をされるわけで
必然的に何処にも行きたくなくなり
誰にも会いたくなくなっていた、

自分の部屋以外には居られない状態になり
それでも
今思えばよく学校へ行っていたと思う、

さすがに見かねた親が
なんとかならないかと色々調べたんだろう、
あの時代はネットなんてものはない、
人づてに聞いて
手術があるということを調べてきた、

この辺りから
俺自身も自分の身体はどういう状態でこうなっているのかを
色々勉強したりするようになった、
でも、今の時代に比べれば
情報量とすれば少なく
今ならばネットで数分で判る事を
何ヶ月もかかって知るみたいなこともあった、

とりあえず
その時点でわかったことは

俺は腋臭であること
耳垢が湿っていて服が黄ばんで独特の臭いがしている、
第二次性徴期辺りから臭いは強くなり
指摘されやすい、
その通りだった、
原因はほとんど遺伝で俺の場合は父親の遺伝で間違いない、

実際に治すには手術だが
当時保険適用な病院は見つけられなかった、

当時の技術では
手術を受けると腕が上がらなくなってしまうかもしれない
というリスクもあると言われた、

でもそれでも俺は今より良くなるばと
希望した、

そこで親が調べて見つけた病院を選び
手術をするという事になった、

都内にあるIという病院で
この世界では一応有名どころだった、

この時まだ中学3年
既に年末が近く
一般的には受験という時期だったんだが
俺自身は全く将来なんか考えていなかったので
どこを受験するかも
適当に考えていた、

そして
当時の俺が待ちに待った
俺の人生を変えてくれると
信じた手術の日がやってきた、



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