☆12月1日(日)
【2013年 師走】
・個人の話ですが、12月1日(ついたち)というのは特別感があります。
また、12月―鴻心館では1年間の締めくくりとして演武大会を開催致します。
12月というのは痛い思い出もあります。
12月においては過去に何件も事故がありました。
演武会での怪我が数件。
納会での骨折。
道場稽古内での鎖骨骨折(前方投げの受けをした時)
3年前に私も腰を痛めたのも12月でした。
1年の締めくくりとして大晦日まで気を緩めないようにしないといけないもの。
大きな事故は起きていませんが、小さな事故を教訓にしないといけません。
そういう意味において12月1日は褌(ふんどし)を締めてかかる
つまり気合を入れなおす日です。
【12月1日日本合気道鴻心館の稽古】
・三国丘道場 午前8時~9時 空手
午前9時~10時 合気道少年部
午前10時~11時 合気道一般部初級クラス
午前11時~12時 合気道一般部中級以上クラス
・高倉台西道場 午後7時~8時 合気道少年部
午後8時~9時30分合気道一般部
【For my opinion 護身について】
昨日に続いて、今日は、あくまでもと前置きしますが、私の護身としての考え等をかきます。
・対人間に対しての護身
突発的に襲われる ①強盗との鉢合わせ ②おやじ狩りに遭う などでは
余裕があれば武器で応戦します。その武器は、ヌンチャクのように使える
鍵の束(写真)です。それを常に持っています。普段は無くしたら困るので
道場、事務局、自宅、車、バイクの鍵を一つにまとめたいために紐でつないで
いるだけです。
しかし、余裕がない時は、素手で何とかするでしょう。
・自然災害(地震、大雨、落雷)
趣味は山釣り(渓流釣り)
渓流釣りでは、天気を常に大まかにつかんでから釣りに行っています。ただ突然の雷など
ではその前に前兆が必ずありますので、あくまでもそれをキャッチする感覚をたよりにし
ています。
地震は、起きたその瞬間に最良であろう行動ができるように心の準備だけは常にしている
①工事現場なんかのクレーンが倒れてくる。②わき見運転の車に当てられるなど
これも「おゃ!おかしいなっ」という感覚を養っておいて、いち早く異変をキャッチする
・企業など社会的な被害
様々なケースが考えられますが、あくまでも自分が正当な立場に常に立っていること。
これが予防でも事後でも大切だと思っています。
全てケースバイケースだと考えておくこと。
危険予知感覚とでも申しましょうか、日本は台風、地震、竜巻と自然災害があり
酔っ払い暴漢、強盗など悪意持つ人間からの暴力などに対しても察知する感覚 が大切だと考えます。
神経質にキョロキョロするのではありません。あくまでも自然体での感覚
何かで読みましたが多分新聞だったでしょうか?
子供のころにした「虫捕り」の感覚がこういった被害から逃れるための基礎感覚を身に着け
るのに役に立っていると言います。
キリギリス採り、蝉採り、蝶を網でとったり、クワガタ虫、カブト虫を野原や里山に入っ
ていき採るその際に経験し養った感覚というものが
人間が人工的なものに囲まれて育ちすぎ、鈍感になった感覚を
虫捕りをすることで、自然の中で遊ぶことによって正常な野生感が磨かれるのです。
それが精神の技となりひいては「護身技」として役に立つという事だそうです。
これも異論はあるかと思いますが、私は大きくはこの通りだろうと共感しています。
※子供のころ(殊に小学生時代)の体験、遊びは護身にかぎらずとても大切だと思います。
私の子供時代はゲーム機はなく外でよく遊びました。
メダカをとり、ザリガニをスルメとタコ糸で釣り、爆竹で小動物に殺生をしたり
ベッタで勝って相手のものをすべてまきあげたり、自分もとられてしまったり、
集団でよく遊びました。
我を出しすぎて上級生に殴られたり、弱い子を助けたり、喧嘩したり仲直りした
り、悪戯が過ぎて周りの大人に吊し上げられたり、ある時は褒められたり、仲間
とかくれんぼをしたり・・・・子供のころにしか絶対出来ない事、色んな意味で
遊びをきちんとしていれば確実にまともな大人になると思いますが・・・
どうでしょうか?
世の中には怖いものがある事を知ることは子供のころに必要。
【For my opinion 合気道を考える―備えあれば憂いなし】
・好きな言葉に「備えあれば憂いなし」。
いつ出来た言葉なのでしょうか。
合気道をやっていて思うのですが、この言葉が教えてくれて
いる気がします正しい修行の仕方を・・。
私たち人間は突然老人になるわけではありません。
若い時に力があるからといって「力」まかせの合気道をしていたら
年をとって筋力、瞬発力も衰えたらどうするのでしょう?
老齢になるまでの長い間に合気力(あいきりょく)を付けて合気道の本質的な
実力を蓄えていれば歳をとっても「憂いなし」だと考えます。
合気道開祖の植芝先生しかり養神館設立者の塩田館長しかりでしょう。
合気力はコツとかいうレベルではなくある一つの基本練習の中で掴むものです。
それを発展させることによってしか習得できません。
私は合気道の核心、核となる技術を総称して「合気力」とよんでいます。
この合気力は植芝盛平先生から始まりお弟子さんたちに、それぞれ別の受け取り
方をされて、それぞれのお弟子さん達が工夫稽古し自分のものにしていったのです。
そう考えています。つまり植芝先生の業よりイマジネーションを自分なりに
広げて、自己に取り入れて合気力としていったということです。
つまり合気力にはとても自由が与えられているといえます。
【ため口に思う その2】
昨日は小学校のマイスタディがあり指導のために小学校へいく
子どものため口について先日かきました。
根本的な原因の一つがTVだと思っています。
女性が汚い言葉、一昔前なら決して使わない言葉をつかったり
男性が女性言葉を話していたりと・・・
テレビのバラエティー番組での会話は無茶苦茶だと思います。
この影響は絶対に0(ゼロ)ではないとおもうのですが・・・。
ため口だけではありませんが
曽野綾子さんがある著書で、若者がきちんとしていないことを
つまりマナーがなっていないのを次のように表現しています。
「日本人は親がダメで教師がダメで、模範となる老人がいないから、
若者の社会性が育たないわけです。」
全てがそうではないのは勿論で、曽野さんは一般的にはという
前提で書いたものだと思います。
逆に考えれば
「親がまともで、教師もまとも、模範となる老人がまわりにいる」
こういう環境が若者には不可欠だというのでしょう。
【2013年 師走】
・個人の話ですが、12月1日(ついたち)というのは特別感があります。
また、12月―鴻心館では1年間の締めくくりとして演武大会を開催致します。
12月というのは痛い思い出もあります。
12月においては過去に何件も事故がありました。
演武会での怪我が数件。
納会での骨折。
道場稽古内での鎖骨骨折(前方投げの受けをした時)
3年前に私も腰を痛めたのも12月でした。
1年の締めくくりとして大晦日まで気を緩めないようにしないといけないもの。
大きな事故は起きていませんが、小さな事故を教訓にしないといけません。
そういう意味において12月1日は褌(ふんどし)を締めてかかる
つまり気合を入れなおす日です。
【12月1日日本合気道鴻心館の稽古】
・三国丘道場 午前8時~9時 空手
午前9時~10時 合気道少年部
午前10時~11時 合気道一般部初級クラス
午前11時~12時 合気道一般部中級以上クラス
・高倉台西道場 午後7時~8時 合気道少年部
午後8時~9時30分合気道一般部
【For my opinion 護身について】
昨日に続いて、今日は、あくまでもと前置きしますが、私の護身としての考え等をかきます。
・対人間に対しての護身
突発的に襲われる ①強盗との鉢合わせ ②おやじ狩りに遭う などでは
余裕があれば武器で応戦します。その武器は、ヌンチャクのように使える
鍵の束(写真)です。それを常に持っています。普段は無くしたら困るので
道場、事務局、自宅、車、バイクの鍵を一つにまとめたいために紐でつないで
いるだけです。
しかし、余裕がない時は、素手で何とかするでしょう。
・自然災害(地震、大雨、落雷)
趣味は山釣り(渓流釣り)
渓流釣りでは、天気を常に大まかにつかんでから釣りに行っています。ただ突然の雷など
ではその前に前兆が必ずありますので、あくまでもそれをキャッチする感覚をたよりにし
ています。
地震は、起きたその瞬間に最良であろう行動ができるように心の準備だけは常にしている
①工事現場なんかのクレーンが倒れてくる。②わき見運転の車に当てられるなど
これも「おゃ!おかしいなっ」という感覚を養っておいて、いち早く異変をキャッチする
・企業など社会的な被害
様々なケースが考えられますが、あくまでも自分が正当な立場に常に立っていること。
これが予防でも事後でも大切だと思っています。
全てケースバイケースだと考えておくこと。
危険予知感覚とでも申しましょうか、日本は台風、地震、竜巻と自然災害があり
酔っ払い暴漢、強盗など悪意持つ人間からの暴力などに対しても察知する感覚 が大切だと考えます。
神経質にキョロキョロするのではありません。あくまでも自然体での感覚
何かで読みましたが多分新聞だったでしょうか?
子供のころにした「虫捕り」の感覚がこういった被害から逃れるための基礎感覚を身に着け
るのに役に立っていると言います。
キリギリス採り、蝉採り、蝶を網でとったり、クワガタ虫、カブト虫を野原や里山に入っ
ていき採るその際に経験し養った感覚というものが
人間が人工的なものに囲まれて育ちすぎ、鈍感になった感覚を
虫捕りをすることで、自然の中で遊ぶことによって正常な野生感が磨かれるのです。
それが精神の技となりひいては「護身技」として役に立つという事だそうです。
これも異論はあるかと思いますが、私は大きくはこの通りだろうと共感しています。
※子供のころ(殊に小学生時代)の体験、遊びは護身にかぎらずとても大切だと思います。
私の子供時代はゲーム機はなく外でよく遊びました。
メダカをとり、ザリガニをスルメとタコ糸で釣り、爆竹で小動物に殺生をしたり
ベッタで勝って相手のものをすべてまきあげたり、自分もとられてしまったり、
集団でよく遊びました。
我を出しすぎて上級生に殴られたり、弱い子を助けたり、喧嘩したり仲直りした
り、悪戯が過ぎて周りの大人に吊し上げられたり、ある時は褒められたり、仲間
とかくれんぼをしたり・・・・子供のころにしか絶対出来ない事、色んな意味で
遊びをきちんとしていれば確実にまともな大人になると思いますが・・・
どうでしょうか?
世の中には怖いものがある事を知ることは子供のころに必要。
【For my opinion 合気道を考える―備えあれば憂いなし】
・好きな言葉に「備えあれば憂いなし」。
いつ出来た言葉なのでしょうか。
合気道をやっていて思うのですが、この言葉が教えてくれて
いる気がします正しい修行の仕方を・・。
私たち人間は突然老人になるわけではありません。
若い時に力があるからといって「力」まかせの合気道をしていたら
年をとって筋力、瞬発力も衰えたらどうするのでしょう?
老齢になるまでの長い間に合気力(あいきりょく)を付けて合気道の本質的な
実力を蓄えていれば歳をとっても「憂いなし」だと考えます。
合気道開祖の植芝先生しかり養神館設立者の塩田館長しかりでしょう。
合気力はコツとかいうレベルではなくある一つの基本練習の中で掴むものです。
それを発展させることによってしか習得できません。
私は合気道の核心、核となる技術を総称して「合気力」とよんでいます。
この合気力は植芝盛平先生から始まりお弟子さんたちに、それぞれ別の受け取り
方をされて、それぞれのお弟子さん達が工夫稽古し自分のものにしていったのです。
そう考えています。つまり植芝先生の業よりイマジネーションを自分なりに
広げて、自己に取り入れて合気力としていったということです。
つまり合気力にはとても自由が与えられているといえます。
【ため口に思う その2】
昨日は小学校のマイスタディがあり指導のために小学校へいく
子どものため口について先日かきました。
根本的な原因の一つがTVだと思っています。
女性が汚い言葉、一昔前なら決して使わない言葉をつかったり
男性が女性言葉を話していたりと・・・
テレビのバラエティー番組での会話は無茶苦茶だと思います。
この影響は絶対に0(ゼロ)ではないとおもうのですが・・・。
ため口だけではありませんが
曽野綾子さんがある著書で、若者がきちんとしていないことを
つまりマナーがなっていないのを次のように表現しています。
「日本人は親がダメで教師がダメで、模範となる老人がいないから、
若者の社会性が育たないわけです。」
全てがそうではないのは勿論で、曽野さんは一般的にはという
前提で書いたものだと思います。
逆に考えれば
「親がまともで、教師もまとも、模範となる老人がまわりにいる」
こういう環境が若者には不可欠だというのでしょう。