☆11月26日(火)
【JR大阪駅経由で】
・本日は、大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部の練習日。
毎回JR鳳駅前にあるコインPに車を停め
関空快速で大阪駅に行きます。
途中グランフロントに立ち寄って2時間ほど本を読んでいます。
椅子とテーブルがあり、喫茶室もあるためくつろげる空間として活用しています。
毎週火曜日はここ紀伊国屋にいるのが当たり前になっています。
今はグランフロントも人も減ってきて(平日だからでしょうが)落ち着いて本を
読んでいられます。
誰にも邪魔されず、騒ぐ子供もいないし、静かで暖かいため何時間でもいられます。
不思議に思うのですが、暖かいのですが眠くならないのです。
温度&湿度管理をコンピュータかなんかで管理しているのかしれませんが
とても快適です。
【大会準備】
・昨日も大会に使用する品を受け取ってきましたが
着々と準備を行っています。
本日も他に進級証の用意をしたりと事務仕事がありますが
午前中に済ませるようにしてから大阪へ出てインターナショナルスクール
に向かう予定。
本日は書のカルチャー教室はないので、出来るだけ効率的に用を済ませる
【For my opinion 合気道を考える①(初段以上の方編)】
・塩田剛三先生語録より
塩田先生の書から以下引用。
「皆さん、この技はどうしよう、あの技はどうしようと考えているが、
大切なのは、技はいっぱいあるけれども、その根本に流れているもの
をつかまえるということ。」
この文章を読み、アーッ自分が行っているところのココを述べて
いるんだと分かるのか、チンプンカンプンであるのかで、その人の
合気道に対しての探求力がどのあたりであるか分かります。
しかし一般的にはこの文章だけ読んでも不親切であり、多分何を言っているのか
初心者では、真の所は分からないと思います。
ここに合気道を練習していくうえでのヒントがあります。
実力がないのでこういう文章を読んでも何も分からないと悲観する事はありません。
真摯に稽古をしていれば人間のすることですから、パッと閃き、分かる時がきます。
実力がついて来れば自然と分かる。つまり共感できる。そういうものです。
しかし分かったとしても注意すべきことがあります。
自分で掴んだ、分かったと思った瞬間だけ喜んでもいいと思うのですが
次の瞬間から、その技能は不完全だと悟り追求して深く考えて進んでいく意思
が必要です。そこが合気道技術(合気)の底なしのところです。
まあだいたいにおいて
達人の文章を読んで知識として知っても、自分の合気道力がそこに追いついて
いなければ人の言っている事(達人語録)自体の言葉も宝の持ち腐れとなります。
つまりビビーンと響きません。
この塩田館長の言葉は、合気道において
『その根本に流れているもの』をつかめていないと技としては中途半端
(使い方において)ですよという事であり、その根本技術がないと
技(小手返しや四方投げ)をどーしょうかな、こうしょうかなと悩むこと
になりますよと教えてくれています。
【For my opinion 合気道を考える②】
合気神髄合気道開祖・植芝盛平語録(八幡書店)より
『合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、
己れを宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した
者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。』
これは初心者には分かりずらいものです。私も誰に対して残した文なのか
真意は理解できません。人に何を分からせたいのかが見えない文章です。
読んでみて「???」と思いがちですが、
敢えて、と前置きしつつ私の見解を述べてみます。
植芝先生の立場に立って(これも敢えて)書いてみると以下のようになると思います。
'(但し私の個人的な見解ですからお粗末ながらご容赦ください)
≪合気道の極意をつかみたいなら、あんたのその自己中心的な考えをまず捨てて
素直になりなさい。稽古もなにもかもこれはこうだと決めつけないで稽古しな
さい。ある程度分かったと思う時が来たとしてもそれを極意と思わず、さらに
その先を追求していきなさい。≫
これがー合気道の極意は、己れの邪気をはらいーの所の私の解釈です
≪宇宙というのは万物という意味であって、人間も当然ながら含むんじゃ
な。その宇宙の一部そのまた一部である人間にじぁなあ、手を掴まれても
、強く掴まれても関係ないんじゃ、私が合気をかければスッーと動いて
四方投げで投げるんじゃな。ただ掴んできた相手としっかりと離れん
ようにさせる必要があるんじゃ。
ここが出来ていないとダメじゃなあ。
しっかり離れんようにするには2つの方法があるんじゃ
相手がしっかりと掴んでいる場合。それから私が相手の手をくっ付けて
離れんようにしている場合じゃ。≫お粗末ながらこう解釈しています。
ー己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにあるーという箇所です。
最後に、ー合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのであるー
ここの文の解釈は
≪合気道の極意は最初に全部をズバッと掴みえるもんではないんじゃ
合気の極意の始まりをまず掴んでじゃ、つまりスタートラインに立つと
いう事が肝心じゃ。まず一を知る。そこからがあんたの合気道発展のは
じまりじゃの。
一とは、それを自分で掴むんじゃが、これが一筋縄ではいかんのじゃなあ
それは人によって「呼吸力」「脱力」「統一体」と呼んでいたり・・・
呼称なんかは、なんでもいいんやけれど。つまりは
力技に対して何とかできる、この技術が「一」じゃ
しかしこれを平面的にとらえると進歩はせんな、そこどまりじゃな。そこから
あるいみ鍛錬し続け、研究し続けて自惚れんと、まだ上があると思ってやって
いくことじゃなそれが分かって出来れば
乱暴な言い方じゃが、手の掴み方とか、位置とか、気とかそんな細かなことに
関係なく相手を崩したり投げたりすことができるんじゃな。
まあそんなところじゃ。しっかりと稽古なさい。≫
【JR大阪駅経由で】
・本日は、大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部の練習日。
毎回JR鳳駅前にあるコインPに車を停め
関空快速で大阪駅に行きます。
途中グランフロントに立ち寄って2時間ほど本を読んでいます。
椅子とテーブルがあり、喫茶室もあるためくつろげる空間として活用しています。
毎週火曜日はここ紀伊国屋にいるのが当たり前になっています。
今はグランフロントも人も減ってきて(平日だからでしょうが)落ち着いて本を
読んでいられます。
誰にも邪魔されず、騒ぐ子供もいないし、静かで暖かいため何時間でもいられます。
不思議に思うのですが、暖かいのですが眠くならないのです。
温度&湿度管理をコンピュータかなんかで管理しているのかしれませんが
とても快適です。
【大会準備】
・昨日も大会に使用する品を受け取ってきましたが
着々と準備を行っています。
本日も他に進級証の用意をしたりと事務仕事がありますが
午前中に済ませるようにしてから大阪へ出てインターナショナルスクール
に向かう予定。
本日は書のカルチャー教室はないので、出来るだけ効率的に用を済ませる
【For my opinion 合気道を考える①(初段以上の方編)】
・塩田剛三先生語録より
塩田先生の書から以下引用。
「皆さん、この技はどうしよう、あの技はどうしようと考えているが、
大切なのは、技はいっぱいあるけれども、その根本に流れているもの
をつかまえるということ。」
この文章を読み、アーッ自分が行っているところのココを述べて
いるんだと分かるのか、チンプンカンプンであるのかで、その人の
合気道に対しての探求力がどのあたりであるか分かります。
しかし一般的にはこの文章だけ読んでも不親切であり、多分何を言っているのか
初心者では、真の所は分からないと思います。
ここに合気道を練習していくうえでのヒントがあります。
実力がないのでこういう文章を読んでも何も分からないと悲観する事はありません。
真摯に稽古をしていれば人間のすることですから、パッと閃き、分かる時がきます。
実力がついて来れば自然と分かる。つまり共感できる。そういうものです。
しかし分かったとしても注意すべきことがあります。
自分で掴んだ、分かったと思った瞬間だけ喜んでもいいと思うのですが
次の瞬間から、その技能は不完全だと悟り追求して深く考えて進んでいく意思
が必要です。そこが合気道技術(合気)の底なしのところです。
まあだいたいにおいて
達人の文章を読んで知識として知っても、自分の合気道力がそこに追いついて
いなければ人の言っている事(達人語録)自体の言葉も宝の持ち腐れとなります。
つまりビビーンと響きません。
この塩田館長の言葉は、合気道において
『その根本に流れているもの』をつかめていないと技としては中途半端
(使い方において)ですよという事であり、その根本技術がないと
技(小手返しや四方投げ)をどーしょうかな、こうしょうかなと悩むこと
になりますよと教えてくれています。
【For my opinion 合気道を考える②】
合気神髄合気道開祖・植芝盛平語録(八幡書店)より
『合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、
己れを宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した
者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。』
これは初心者には分かりずらいものです。私も誰に対して残した文なのか
真意は理解できません。人に何を分からせたいのかが見えない文章です。
読んでみて「???」と思いがちですが、
敢えて、と前置きしつつ私の見解を述べてみます。
植芝先生の立場に立って(これも敢えて)書いてみると以下のようになると思います。
'(但し私の個人的な見解ですからお粗末ながらご容赦ください)
≪合気道の極意をつかみたいなら、あんたのその自己中心的な考えをまず捨てて
素直になりなさい。稽古もなにもかもこれはこうだと決めつけないで稽古しな
さい。ある程度分かったと思う時が来たとしてもそれを極意と思わず、さらに
その先を追求していきなさい。≫
これがー合気道の極意は、己れの邪気をはらいーの所の私の解釈です
≪宇宙というのは万物という意味であって、人間も当然ながら含むんじゃ
な。その宇宙の一部そのまた一部である人間にじぁなあ、手を掴まれても
、強く掴まれても関係ないんじゃ、私が合気をかければスッーと動いて
四方投げで投げるんじゃな。ただ掴んできた相手としっかりと離れん
ようにさせる必要があるんじゃ。
ここが出来ていないとダメじゃなあ。
しっかり離れんようにするには2つの方法があるんじゃ
相手がしっかりと掴んでいる場合。それから私が相手の手をくっ付けて
離れんようにしている場合じゃ。≫お粗末ながらこう解釈しています。
ー己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにあるーという箇所です。
最後に、ー合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのであるー
ここの文の解釈は
≪合気道の極意は最初に全部をズバッと掴みえるもんではないんじゃ
合気の極意の始まりをまず掴んでじゃ、つまりスタートラインに立つと
いう事が肝心じゃ。まず一を知る。そこからがあんたの合気道発展のは
じまりじゃの。
一とは、それを自分で掴むんじゃが、これが一筋縄ではいかんのじゃなあ
それは人によって「呼吸力」「脱力」「統一体」と呼んでいたり・・・
呼称なんかは、なんでもいいんやけれど。つまりは
力技に対して何とかできる、この技術が「一」じゃ
しかしこれを平面的にとらえると進歩はせんな、そこどまりじゃな。そこから
あるいみ鍛錬し続け、研究し続けて自惚れんと、まだ上があると思ってやって
いくことじゃなそれが分かって出来れば
乱暴な言い方じゃが、手の掴み方とか、位置とか、気とかそんな細かなことに
関係なく相手を崩したり投げたりすことができるんじゃな。
まあそんなところじゃ。しっかりと稽古なさい。≫