☆平成26年1月24日(金)
【達人‐植芝盛平‐その9(立ち方)】
どの武道、武術にもやかましく言われているであろう
立ち方をしっかりと出来るように練習する。
武道一般にみると足の形などは厳しく指導されていると思いますが
合気道ではまずあまりやかましいところはありません。
そのせいか段外の人、有段者ともにあまり気にせず練習している
ところが多いのではないでしょうか。
鴻心館で言えば、四方投げ(定位置)の立ち方は、両足の幅は、足一つ分あるいは
足1.5個分の長さを取るとしています。
これは右足、左足が一直線上にならないように立ちます。
動きの中でも同じことがいえます。必ず足一つ分の幅をとって移動する。
皆大体、運足、足さばきは雑です。といいますか訓練されていないといった
方が適切です。
この立ち方が出来ていないと、動いていても意味をなさない。厳しく言えば
やっても無駄です。一直線に足があれば使えないからです。(一例としてです)
箸を二本もってはじめて食事ができる、しかし一本の箸で食事は満足にできない
のと同じことが足の形です。一直線に前の足、後ろの足がのっていれば身体が
ピタッと定まらないため使えない身体=意味を為さない身体といえます。箸一本
でご飯を食べているようなものです。
植芝盛平翁の足さばきを映像で見ることができますが、座技、立ち技にかかわ
らず踵からつま先までピーン伸びています。また体がブレずに安定感がみられます。
分かりやすく言えば、映像では軽やかに動いています。しかしこれは軽やかな練習
つまり楽な稽古から生まれたものではありません。それは合気道をやってみれば納
得できるものです。
半身の立ち方より一歩前に出した形をみれば訓練されているのか、適当に出してい
る足かがわかります。
こんな細かいことは私は言いませんが、私はこういう足捌きを指導されました。
しかしどうしたわけか、先生は私以外には殆ど言ったのを記憶していません。足の
形はみな気にせず練習することからハッキリ言って運足が「立派」ではありません。
ここをあまりやかましく言うと、練習が嫌になるため、言葉を濁していたのかもし
れません。
型においても、足をまっすぐ引くところでも斜め後ろに引いたりしています。
これは二段以上では出来ていないと、後輩たちもそれでいいのかとなってしまいます。
植芝盛平翁の立ち方、足の捌き方、見事な神経の使い方これらは70歳を超えたお歳で
も映像に記録されています。この事実は、若いころよりの鍛錬の賜物です。
植芝盛平翁の完成形を見習うのではなく修行の過程を考えて、基本をあくまでも
まず身に付けないといけないのです。
基本ができている人はとても少ない、なぜかは教えられて出来るものではなくて、
自分で練習することでしか身につかないからです。
植芝盛平翁の映像からは、足袋をはかれていますがそれでも足先までピンと伸びて
いることがわかります。
昭和15年発刊の「刀と劍道」という本に
「術に終期なし死をもって終わりとなす」という古人の教えがのっています。
盛平翁もお亡くなりになる前までこの言葉のとおりの武道家人生を歩んだ方
です。
合気道を学ぶにあたっては、自分がいかなる会派、系統にあるのかを知ってお
くことは大切です。植芝盛平翁はたくさんのお弟子さんを持ちました。その
お弟子さん一人一人が盛平翁から同じような合気技(法)を学んだとしても技上
少々の違いがあるし、指導方法も調べた限りは、植芝先生は一貫して技を教え
られていません。自分が習った合気道はどういうものなのかを知るうえでも系
統を知っておくことが肝要です。
このことは、合気道の修練とは別問題のようであるとおもうかもしれません。
しかし自分の習得度、合気技や段位の進むにつれて、 自己の立場が非常に大
切なものとなってきます。どの先生を師に持たれたのか、その先生との関係は
どうなのかも含めてです。
真の武道には、つまり人間性を育て学び、尊ぶ日本の昔からの風潮がまだ生き
ています。
合気道は紛れもなく植芝盛平翁から始まったものですから、
修得上自己の系譜を尊ぶべきは至極当然だと考えます。こういう「達人ー植芝盛平」
を書いていて感じてたところを書いてみました。
【スキー行事など】
今週の水曜日に、㋁に行くスキー場(今庄365)事務所に、スキーをレンタルする
ために名簿表を荷札とともに郵送した。
スキー申し込み者も今週も2名増えました。おかげで定員に達しました。
㋁の行事は、スキー以外にも進級審査会があります。
事務仕事はいろいろありますが、今月末には夏合宿の申し込みもしないといけ
ません。半年前から予約がとれるので、今年の夏は西吉野ではなくて福井県を
予定しています。
まだ決定ではありませんが2月中には決めたいと思ってやっています。
【達人‐植芝盛平‐その9(立ち方)】
どの武道、武術にもやかましく言われているであろう
立ち方をしっかりと出来るように練習する。
武道一般にみると足の形などは厳しく指導されていると思いますが
合気道ではまずあまりやかましいところはありません。
そのせいか段外の人、有段者ともにあまり気にせず練習している
ところが多いのではないでしょうか。
鴻心館で言えば、四方投げ(定位置)の立ち方は、両足の幅は、足一つ分あるいは
足1.5個分の長さを取るとしています。
これは右足、左足が一直線上にならないように立ちます。
動きの中でも同じことがいえます。必ず足一つ分の幅をとって移動する。
皆大体、運足、足さばきは雑です。といいますか訓練されていないといった
方が適切です。
この立ち方が出来ていないと、動いていても意味をなさない。厳しく言えば
やっても無駄です。一直線に足があれば使えないからです。(一例としてです)
箸を二本もってはじめて食事ができる、しかし一本の箸で食事は満足にできない
のと同じことが足の形です。一直線に前の足、後ろの足がのっていれば身体が
ピタッと定まらないため使えない身体=意味を為さない身体といえます。箸一本
でご飯を食べているようなものです。
植芝盛平翁の足さばきを映像で見ることができますが、座技、立ち技にかかわ
らず踵からつま先までピーン伸びています。また体がブレずに安定感がみられます。
分かりやすく言えば、映像では軽やかに動いています。しかしこれは軽やかな練習
つまり楽な稽古から生まれたものではありません。それは合気道をやってみれば納
得できるものです。
半身の立ち方より一歩前に出した形をみれば訓練されているのか、適当に出してい
る足かがわかります。
こんな細かいことは私は言いませんが、私はこういう足捌きを指導されました。
しかしどうしたわけか、先生は私以外には殆ど言ったのを記憶していません。足の
形はみな気にせず練習することからハッキリ言って運足が「立派」ではありません。
ここをあまりやかましく言うと、練習が嫌になるため、言葉を濁していたのかもし
れません。
型においても、足をまっすぐ引くところでも斜め後ろに引いたりしています。
これは二段以上では出来ていないと、後輩たちもそれでいいのかとなってしまいます。
植芝盛平翁の立ち方、足の捌き方、見事な神経の使い方これらは70歳を超えたお歳で
も映像に記録されています。この事実は、若いころよりの鍛錬の賜物です。
植芝盛平翁の完成形を見習うのではなく修行の過程を考えて、基本をあくまでも
まず身に付けないといけないのです。
基本ができている人はとても少ない、なぜかは教えられて出来るものではなくて、
自分で練習することでしか身につかないからです。
植芝盛平翁の映像からは、足袋をはかれていますがそれでも足先までピンと伸びて
いることがわかります。
昭和15年発刊の「刀と劍道」という本に
「術に終期なし死をもって終わりとなす」という古人の教えがのっています。
盛平翁もお亡くなりになる前までこの言葉のとおりの武道家人生を歩んだ方
です。
合気道を学ぶにあたっては、自分がいかなる会派、系統にあるのかを知ってお
くことは大切です。植芝盛平翁はたくさんのお弟子さんを持ちました。その
お弟子さん一人一人が盛平翁から同じような合気技(法)を学んだとしても技上
少々の違いがあるし、指導方法も調べた限りは、植芝先生は一貫して技を教え
られていません。自分が習った合気道はどういうものなのかを知るうえでも系
統を知っておくことが肝要です。
このことは、合気道の修練とは別問題のようであるとおもうかもしれません。
しかし自分の習得度、合気技や段位の進むにつれて、 自己の立場が非常に大
切なものとなってきます。どの先生を師に持たれたのか、その先生との関係は
どうなのかも含めてです。
真の武道には、つまり人間性を育て学び、尊ぶ日本の昔からの風潮がまだ生き
ています。
合気道は紛れもなく植芝盛平翁から始まったものですから、
修得上自己の系譜を尊ぶべきは至極当然だと考えます。こういう「達人ー植芝盛平」
を書いていて感じてたところを書いてみました。
【スキー行事など】
今週の水曜日に、㋁に行くスキー場(今庄365)事務所に、スキーをレンタルする
ために名簿表を荷札とともに郵送した。
スキー申し込み者も今週も2名増えました。おかげで定員に達しました。
㋁の行事は、スキー以外にも進級審査会があります。
事務仕事はいろいろありますが、今月末には夏合宿の申し込みもしないといけ
ません。半年前から予約がとれるので、今年の夏は西吉野ではなくて福井県を
予定しています。
まだ決定ではありませんが2月中には決めたいと思ってやっています。