合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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Aikido 【合気道鴻心館 3/8】

2014年03月08日 | 鴻心館
☆平成26年3月8日(土)
【捨て去ること】
 今週は様々な行事などがあり忙しくしていました。
高校の卒業式では校長先生が素敵なご挨拶を仰っていました。

久しぶりに、いい言葉を先生から聞かされました。

そのことに関係があり思いついたので少し書いてみます。
 学生生活の3年間は「はい今日から全て捨て去って・・」
振り向かずに未来に一歩踏み出そう

 思い出は大切にしたい、しみじみ感傷に・・・というのが
普通かもしれません。しかし過ぎたものはすぎたもの。

 過去の思い出や出来事に縛られない、そんな事をしている暇が
 ないのが17歳くらいの人間だと

 おっとこれは私の年代、いや全ての人に言えそうです。
 
 合気道でも過去の技などに縛られたらダメです。

 短刀取りを習った、僕は毎日練習している、だからナイフを
 持った強盗に素手で向かっていける・・・
 (もしくは‐行かなければならない・・・と思う)
  
 これでは単細胞すぎる人間(思考)です。

 何かに縛られる、大抵はこれをやってしまいます。
 
 こう書いている私も、アッ縛られているなぁ・と反省することは
 毎日のようにあります。
 
 合気道にファイティングポーズってありませんね。

 戦うぞというポーズはいりません。
  
 ナイフを持つ相手に、携帯電話でもなんでも投げつければいいので
 そうした隙に
 次の手は、あの手もあるこの手もあると瞬時に判断できます。

 その判断は何かというと、臨機応変能力だといえます。

 昨日の校長先生の式辞は、何も見ずにあいさつされていました。
 しみじみ感がほどほどに、それが
 あらわれた話しぶりでした。またすがすがしいという意味で 
 いい目をして話していました。
 だから全て言葉がスーッと私のココロにも届きました。

 詳しくは練習場で練習生に今日はなしたところです。ブログではここまで。


 ・挨拶は大事

  あいさつが大事ではなく、挨拶するタイミングが大事だと思います。

  例えば、見学者が一通り練習をみて入門するかしないかは

  その時に発した挨拶(言葉)で、その感じで

  アッ、この人は入門するな・・と分かります。

  それはタイミングというか、間です。

  会社で街中でも、相手に対して会釈や「久しぶり」といった声掛けもタイミング
  です。
  早すぎても、遅すぎても効きません。
 
  効かないというのは

  「相手に届かない」

  「相手のココロに響かない」ということです。

  ちょっと苦手な上司だな・・・と思うココロが挨拶の仕方に出ます。

  だから、自然体で、すいすい挨拶が出来る人を見れば

  清々しくかんじられます。

  言葉(発声)は自衛にも使えます。

  護身というものは難しくとらえることではなく、日頃の心遣い

  気持ちの向け方=向き合うことで、日常から鍛えられます。

  声も武器になります。理解できない人は、手段と思えばいいです。

  される前に「叫ぶ」結果的に身を護れた・・・という例です。

  言葉、言霊の効果をしっかりと理解しないと、
  
  昨日の高校の卒業式で朝から国歌君が代斉唱の時、

  私の斜め前の男性と私は声を出して歌いました。

  これは国歌を謳うという事は、私と国はつながっているんだよ、まさに合気
  の世界です。

  国とつながっているから日本の国歌をうたうのです。
  みんなだまってるから自分もだまる、歌っているから私も歌おう・・・ではありません。

  式で国家を歌い、次に校歌を歌います。

  まずみんなは国とつながっていて、次に母校とつながっていて・・・
  と教え、感じさせています。だから初めに国歌を歌います。
  国が存在するからです。

  ウクライナも国です。

  日本国が未来に、日本自治区になれば
  君が代は歌う必要はなくなります。
  それは恐ろしいことです。
  日本とつながることが許されず、他とつながることを強要される
  ことだから
  
  国歌を歌える幸せとはそういうことです。

  次に校歌、みんな透き通るような声で歌っていました。
  さすか゜高校生。  
  私は校歌はしらないので歌詞をみてまでは歌いませんでした。

  しかし生徒や先生がたはしっかりと校歌を歌っていました。
  生徒や先生たちは学校とつながっているからです。
  とても美しい風景だ(ナチュラルだな)と、とても自然だなぁ
  と羨ましく思い、自分の卒業式を思い出していました。

  学校と結びついているココロ、それか゛校歌という形のものです。

  朝から君が代を歌い、きのう一日はとても快適に過ごせました。
  私は国とつながっている、ココで生きている、それを再認識できました。

 ・校歌の話を書いたので
  
  合気道の型(形)も校歌と同じです
  型が大事なのではなく

  型を通して相手とつながっているという事が肝心なところです。
(有段者的には)
  
  人との関係も同じです。

  合気道や空手、武道の門をたたく人は

  それなりの理由が、それぞれ違いはしてもあります。

  私たち指導者は、それぞれの希望に答えられませんが
  合気道を示す(教える)ことによって

  その人の希望を間接的に解決できる方向に導けます。
  結果的に要望希望に沿う形になります。

  だから健康体操が目的でもいいのです。

 

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