合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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Aikido 【日本合気道鴻心館 1/8】

2014年01月08日 | 鴻心館
☆平成26年1月8日(水)
【鳳南道場・中百舌鳥道場】
・本日の鳳南道場、中百舌鳥道場は初稽古となります。
第二回少年大会へまずは目標をおいて練習をしていきます。
一般部の練習生は、第十回演武大会へ向けた実力アップ、身体
創りを各自のペースで進めていく事が大切だと考えます。
中百舌鳥道場は、少し手狭な道場ですが、なるべく大きな技を
創っていきたいと思います。

【達人‐植芝盛平‐その1】
・現在の合気道の世界的な普及は驚くべきものがあります。
合気道愛好者は、国内100万人 海外150万とも言われて
いて、どうしてそんなにも普及したのかと思うほどです。
 その理由はいくつかあります。その主要な理由の一つ
が合気道開祖植芝盛平翁の存在です。
植芝盛平という個性的な人物があらわれたからこそ、今日
のように合気道が世界的に広がっていった事実があります。
ただ海外普及に関して、合気道の先兵的役割は、藤平光一
先生の功績です。
藤平光一先生は植芝盛平翁が亡くなる3ヶ月前に最高
段位である10段を与えられており、それくらい藤平光一氏は名実
とも盛平翁の信頼が厚く、功績が大きかったという事です。
・私は歴史的に見て、大正~昭和初期の頃、もし植芝先生が合気
術に開眼していなければ、つまりただの武道家レベルであったなら
今の合気道は存在していなかった可能性が大きいと考えています。
平和であった江戸時代が終わり、大東亜戦争までの間が合気道や
柔道という武道が新たに起こってきた歴史的必然性があったから
こそ合気道は生まれ、また植芝盛平という強烈な個性の人物が
現れたことで偶然的にも合気道はこの世に誕生したと考えます。
・植芝盛平翁でなくても実力ある人が他にもいるので、いずれは
合気道が現れていたと考えられそうですが、それは分かりません。
分かりませんが、実力がある=世に広まるというような単純なもの
ではなく、その人物によります。
才能がある上に、強烈な個性が備わっていないとダメです。歴史的に
言えば「生類憐みの令」をだした将軍綱吉のような人です。
・ただ時代の必然性によって大正期前後のような時代があったからこ
そ、つまり合気道は時代の必然性によって生れた武道であることは確かな
ことだと思います。
―「達人‐植芝盛平‐その2」へ続く―

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