鴻心館合気道ー軽登山部
7月12日(火)
11時43分 公園口駐車場出発
登山口 ↓
11時55分 山門通過
ここでいつも靴紐をしめます。⇩
空海(お大師さん)20歳の時、槇尾山寺で出家剃髪したとする伝えがあります。
12時14分 施福寺通過
12時45分~12時48分までビューポイント
施福寺~五ツ辻ビューポイント【鴻心館-軽登山部 2016.7.12】
12時53分 七越峠三国山・看板通過 ⇩
13時09分 ボテ峠案内の看板通過
13時18分 熊野古道看板
13時43分 千本杉峠
13時59分 折り返し(uターン)
男性に道を尋ねられ、それで施福寺まで案内することに・・・それで三国山手前で引き返す。
和泉の山へ【軽登山部ー合気道鴻心館】2016.7.11
15時25分 施福寺に戻る
15時42分 山門通過
15時54分 公園口駐車場着 山登り終了
☆密教
武術は、基本、まずは秘密主義です。密教とにています。
合気道も密教的性格を大いに帯びていると思います。
≪植芝盛平翁の合気の師は、武田惣角氏ですが、
その武田氏、極の合気術は 真言密教を修行して会得したと言われています≫
それはさておき、
その理由は、4つあります。
①だいたい秘密主義(基本的にという意味で)
②合気道を体得しても、それは文字で表現できない。
③優れた人との触れ合いで、合気道その真理を共有できる以外に道はないこと(あれば教えてほしいんですが)
④「身・口・意の三密」 真言密教の三密
以上です。
四番目の身・口・意の三密ですが
少し解釈を加えると、
真言密教では、身・口・意の三密の行(ぎょう)を行う事によって悟りを目指しますが
合気道に置き換えると「悟り」というのは
レベルは別にしても(誤解を招かれるかもを承知で言いますと)
植芝盛平翁のようなことが出来る域に達するということですし、
私の師の師でいらっしゃる藤平光一先生のような事が出来る、分かるということです。
出来るというのはオーバーかもしれませんが、少なくとも
心身統一合気道(藤平光一先生の合気道)
四大原則と合気道の五原則が分かる
≪身体でわかり、そして言葉(文字)で共感して、@@で捉える≫ということです。(三密)
鴻心館では、奥伝として@@段以降は、四大原則と合気道の五原則を次のように指導します。
四大原則とは@@を自分の@@に向けるという術理であり
五原則というのは、@@を相手の@@に届ける技術です。
「身・口・意の三密」でいうところの
四大原則&五原則を文字(言葉)で共鳴して@@で自分のものにするということです。
どうしてそうと分かるのかと、検算は、
身体での表現です。
身体で感じて@@で捉えてというのが肝というか、
それだから
鴻心館合気道の教え(修行のプロセス)は密教と同一だと
私は確信しています。
鴻心館合気道では(公開できる範囲でいうと)
具体的には、
入門〜茶帯までは、形をしっかり学び
茶帯は、間合いを中心に
初段〜弐段で、相対操作を@@で学び
参段で合気を学び・・・・・
という流れに大雑把ですが、そうなっています。
これまた、密教と同じように鴻心館合気道でも
その人を見て教えるのは当然の事であって
人格や@@@に問題のある方やその@@のない人に教える事は
密教でいうところの重罪だと思っています。
★☆☆★
今日登った、通過しただけですが
大阪府和泉市にある施福寺(せふくじ)は、
標高約600mの槇尾山の山腹、530mほどのところにあるお寺です。
西国三十三所観音霊場の第四番札所です。
若き時代の空海(お大師さん)が剃髪・得度のお寺で有名です。
修験のお寺なので、
役小角(えんのおづぬ)伝説もきいています。
役行者が、法華経を写して、このあたりに分納したといわれています。
その巻尾(8巻目)≪まきお≫を納めたのが
槇尾山(今はこう書きます)この山です。
つまり槇尾山は、
「巻尾山」となり、
今の山号の「槇尾山」となりました。
このような伝説が残るお寺です。