音信

小池純代の手帖から

雑談53

2023-04-28 | 雑談

吉川幸次郎『他山石語』で見つけた
「巻耳」(『詩経』「周南」)の訳詩。
 
  つんでもつんでも
  かご一ぱいにならないおばこ
  はるかなる人をおもいやりつつ
  そっと道のべにおく草かご


ここで「おばこ」と呼ばれている「巻耳」は
ハコベの類。別名、耳菜草とか猫の耳とかネズミの耳とか。
耳に似た形状の草。実はオナモミ。マジックテープのように
衣服にくっつく例のあれ。

いくら摘んでもいっぱいにならない籠と、
歩いても歩いても行き着かないところにいる人への思い。
その人のいる場所につながるであろう道に置く籠。

心理的な空漠、物理的な大景を引き結ぶ小さな草の籠。
「も・こ・ご」の脚韻。全体、音韻のきれいな一篇。

添えられている読み下し文は、

  巻耳を采り采る
  傾筐に盈たず
  ああ我れ人を憶いて
  かの周行におく


こちらも軽やかな脚韻のステップ。なお、原詩は、

  采采巻耳
  不盈傾筐
  嗟我懐人
  寘彼周行


韻は「筐」「行」。

「傾筐」は塵取りみたいな形で、摘んだ草で
すぐにいっぱいになるぐらい。
そんな容れ物なのにいっぱいにならないとは。
思いの草で心はすでにいっぱいなのだ。










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