私が小説を書きたいと思ったのは10代だが、実際に書き始め、世に出せたらと夢想したのは60代である。
最初、普通の人があまり体験出来ない自分の経歴を少々お化粧させて書くつもりだった。
プライバシーが気になって作り話に変わると、冗漫でつまらないい文章になった。
それでも折角書いたからと郵送した。
結果、原稿の枚数合わせのような作品は歯牙にもかけられなかった。
その後ブログの世界で昭和の思い出を書けたのは、心の奥底にしまってあった小箱を開けた様なワクワク感を呼び起こしてくれた。
物語を作る歓びって最高と思えた。
続いて書いた先の戦争に関する物語で、完全に書く事に病みつきになった。
戦争の翻弄される市井の人間模様は、大人たちから子どもの時聞かされた生々しい話を基にした。
ずっと読み続けてきた本の精霊は、まるでキャッキャとはしゃぐ幼児の様に私をけしかけた。
書き進む内に、事実は小説より奇なりと言うが、恐ろしい悲惨さをどう描くか悩んだ。
苦悩を苦悩のままに綴る息苦しさが鼻についてきた。
思い切り現実を離れた文章が良いと思った。
ところが、時代小説は知識が浅薄だった。
そこで、ミステリーである。
今まで殺しは体験してないから絶対フィクションになる。
昭和初期中期のミステリーはこよなく良い教師になってくれる。
さて、「誰を殺そうか」。
勿論小説の中でであるが、夢想すると憂さを忘れる。
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