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読書の森

「家系」の周辺

鎌倉、京都の古都を歩くと、町そのものが心を持っていて歴史を語りかけてくる気がします。




長い歴史を経て、今も残るモノと異なり千年も命が無い人間にとって、自分のルーツは結構気になるものではないでしょうか?

戦後しばらくは「あの方は元華族だったんですって!」とか「先祖は御武家様だったそうよ!」とか、という話が世間話の中に出てきた事があります。こういう話をする人自身が先祖自慢が多かったですね。

いつの時代も、その国の人口を占める殆どの人が庶民であって、限られた人数の人しか特権階級にいなかったので、「元武士」とか「元貴族」というのが有難く思えるのかも知れません。


源頼朝は清和源氏の直系だったのは確かです。
この家柄を伊豆の豪族、北条家が利用したいと思ったのは、家柄を尊ぶ地盤からきたのでしょうね。

その北条家は平氏の出と称してますが、土地の豪族(地主)が系図をわざわざ作って、家柄にハクをつけたらしいです。

もともと、先祖の数の方が少ないのですし、氏素性を辿ると源氏や平家の縁に辿りつくのかも知れません。
血縁で無ければ姻戚関係でその家柄を継いだ形にする、というのは武士の時代によくあった話です。

偽の家系作りで有名なのが、太閤さん、豊臣秀吉、です。彼の幼少期は語られた事が無いと言います。彼の才知能力からすれば非常に屈辱的な下層の育ちだったと思えます。
という事で、彼の好むのは正妻を除いて皆家柄の上品で誇り高い女性ばかりであります。

有名なのが、淀君(織田信長の妹、お市の方の娘)です。秀吉は憧れのお市の方の娘を手にした事で非常な満足感を得たのでしょうね。



さて、歴史の王者の移り変わりは結構目まぐるしいものがありましたが、近世において止めを打ったのが、徳川家康です。

自分の家系が絶えぬ為に、彼は非情に見える手を打ってます。
もともと女は子を産み家系を絶やさぬ為にある、という感覚でしょうね、彼は多くの丈夫で子がよく育ちそうな側室を持ってます。結果子供の数が非常に多かった。
ただし我が子には政略結婚をさせて、有力大名と姻戚関係を作り、争いを封じ込めてます。

ところが、自分の跡継ぎとした秀忠に、信長の姪、淀君の妹のお江様を娶せたのですね。この時は未だ自分の天下になってないので豊臣家に睨みをきかせる意味もあったのでしょう。

計算外だったのは秀忠が妻一筋だった事でしょう。結果的に秀忠とお江の子、家光が徳川の世を盤石の形にする訳です。
つまり織田信長の血筋という事になるのです。

現代人に「家系」がどうのこうのと説いても、それがどうした?意味あるのか?という感じでしょうね。
ただ、やはりちょっと気になるところはあるかも知れません。

その点を広げて日本人のルーツは?と探ると面白い事実が分かるかも知れません。元を辿ると、結構嫌ってた国の人と血縁関係があったりして、、。

考えてみれば世界のどこの地域でも、遠い親戚同士(民族が同じですね)で、世界の戦国時代さながらの戦いを繰り返す愚を感じるのです。
飛躍ですかね?




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