「江戸の敵を長崎で」と言うものがあります。
普通に解釈すれば、江戸の町で殺された親族の敵を長崎の地で仇討ちする、と言う意味にとれます。
が、全然そんな意味は無いそうです。
この意味は、全く関係ないところで相手に抱く日頃の恨みを晴らす、と言う意味だそうです。
もっともこの諺は今使われる事は殆どないでしょうね。
私は、昔時代劇でこの言葉を知り、なんで長崎?と疑問になりました。
実は、江戸の都で大阪からきた見せ物師が好評をはくし、江戸商人があぶれて困った事から来てます。
実は、江戸の都で大阪からきた見せ物師が好評をはくし、江戸商人があぶれて困った事から来てます。
江戸の見せ物師は大阪人に何とか一泡吹かせてやりたかった。
そこで、長崎から珍しい外国製品(ギヤマン、ビードロ)の見せ物師を招いて江戸で大好評を博したそうです。
それで「長崎」なんですね。
そこで自分が考えたのは「西と東でそれぞれこちらが一番と言う意識が江戸時代の方が強かったのかなあ」と言う事です。
つまり東京の一極集中国家ではなかった。
互角に競いあう両都市が、それぞれの特産を出さずして、出島(海外製品)で商機を見いだす。
これは今でも競争に打ち勝つ為、企業などがする行為です。
別に長崎じゃなくても、例えばデパートなどで九州、北海道、四国の知られていない特産品を売り出す事があります。
敵、討つと言うと穏やかで無いですが、この場合、収益を競うと言う意味だと思います。
人の間、企業同士、いや国同士の競争の場合に、直に自分の力をむき出しにせず、第三者を味方につけて、それで勝利をおさめる事は出来ないでしょうかね?
もし世界の国と国の戦いの場合、第三者となると何処でしょう?
今現在、東南アジアも中南米もインドも中東も色分けされてしまってるとすれば、それはアフリカかも?
世界は刻一刻と変化してます。
単純に捉えてると足元を掬われるかも知れません。
ましてや狭い日本で「誰を」と言う場合ではないかもね。とんだ飛躍をしてしまい申し訳ないです。