昭和30年代の雰囲気を伝える建物、これが千里ニュータウンの一角、竹見台団地の一棟です。
江戸川乱歩の好きな私は怪人二十面相でも出現しそうな建物に惹かれて、この団地に住む事に致しました。
吹田市と豊中市は所謂千里ニュータウンが林立する所です。
コテコテの大阪らしいイメージの大阪市内に比べ、転勤族が多い緑豊かなこの地を選んだ訳です。
そこまで喋ってしまったのは、実は今この地を離れて、ほぼ元の場所に戻っているからなのです。
ごめんなさい🙏
嘘ついたようで辛いです。
持病を治療する為には事情を承知している医療機関がベストと考えたのが第一の理由です。
金銭的にかなり痛かったですが、貴重過ぎる経験でございました。
元いた場所に戻る新幹線の窓から、茜色に染まった夕焼け雲が綺麗に見えました。
京都から滋賀県、故郷岐阜県に沿って見える田園風景、庇の長い瓦屋根が目に沁みます。
金銭的にも失ったものが大きかったですが、暮れ方の人生で二度と出来ない冒険でございました。
晴天の朝の同じ建物です。
これは竹見台団地の出来立てのホヤホヤの棟、設備も良いでしょうし家賃も高いでしょう。
この団地も相当のお年(50年以上)ですから、これからリノベーション、建て替えが進む事になります。
度度写した千里南公園です。
度度写した千里南公園です。
池の湖畔に森がある形で、遠くから見にくる人もいます。
別れを告げた千里ニュータウンは広くて、1970年に大阪万博を開いた地でもあります。
又、2025年に万博が開催されます。
その時この街はどんな顔をしている事でしょうね!
ほんの束の間住んだだけですが、関西圏と関東圏が如何に異なる文化を持つか、痛感致しました。
大阪のテレビ観るだけでも大阪中心です。
政治色の薄い伝統的日本色の強いこの地に住む人は、確かに関東の人より地元を愛してるなと感じました。
観測史上最も暑い大阪の夏、夏バテして私も一貫の終わりかと思いました。
自分の体の内部がこんなにしんどく痛いのが生まれて初めてでしたので、大袈裟でしたがついそう思ってしまったのです。
あれやこれや、強烈に刻まれた大阪の思い出でした。
気張れや大阪!置いてくださって有難う御座いました。