この本は、著名人が故人となった家族や友人に寄せる思いをアンソロジーの形で載せています。
以前に石原慎太郎が弟裕次郎を悼む文を紹介した事があります。
改めて今手に取ると、当時よりずっと濃く深く味わえる気がするのです。
「私を抱きしめて時に突き放す人
あの人にどう近づけばいいのか
いまだに私は分からない
でもあの人は他の誰とも違う人
決して人ごみに紛れてしまわない人
墓石の名が風雨にすり減った後に
私の心の部屋に帰ってくる人」
谷川俊太郎の『あのひとと呼ぶとき』という詩の一節です。
この詩の対象を、別に肉親に限る事は無いと私は思います。
生きていると、信じていた人の心の移ろいや裏切りに遭遇する事は多々あるでしょう。
それは世の中に有りがち事ですが、当事者にとっては多分「誰にも分かってもらえない」辛い思い出です。
エッセイの中で作家幸田文の子供、青木玉が父について語ったものがありました。
両親は彼女がまだ幼い頃に離婚して、青木玉は父親の味を知らずにいました。
それは多分彼女の心に深く深く刺さったトゲだったのでしょう。
それを救ったのが、昔を知る人の話でした。
「その時お母様は話してくださったわ。
あなたのお父様に引かれるものは勿論あったし困ったところもあった。
一生懸命努力したけど結局無理だった。
でも私が初めから嫌いな人と一緒になると思うかって。
確かにそうよ、玉子さんあなたがそれを案じることではないのよ」
そう聞いた時、玉に楽しかった家族一緒の思い出が鮮やかに蘇ってきたそうです。
この本に詰められた特別な思い出の数々を、我が身に染みて感じられるのは私が長く生きてきた証拠なのでしょう。
身近な人の両親が離婚したと打ち明けてもらった時に、自分の両親の問題に囚われていた視界がガラリと変化しました。
この人の行動の背景にこんな事があったのだ、こんな思いを抱えていたのだ、と分かって自分の背負ってきた重い荷物がふっと軽くなった気がしたのです。
この世に住むそれぞれの人がそれぞれのドラマを持つのだと改めて思ってます。
小説エッセイは人の人生を描く宝庫みたいなものです。
良い本は何度か読む内に、読み手の人生に沿ってより深く味わえるものかも知れません。
昨日、切り干し大根と油揚げの煮物を作りました。
買いに行けない時助かるオカズです。
乾類はストックしておくと、役立つものですね。