道尾秀介の世界にとって、死と生のあわいはまるで鏡の外と内の世界の様に自由に交流出来るものではないか?
死者と生者は切ない思いに駆られながらそれでも自由に会話が出来る。
この小説を読み進む内に、「オルフェ」というジャンコクトーの作った古い名画を連想した。
映画の中で、鏡が水の様に流れ死の世界へ導く場面がある。
主人公は今は亡き愛する人に会いに鏡を通り抜けて行くのだ。
本著を通して、『オルフェ』の状況を感覚で理解出来た。
鏡は生と死の媒介かと思う。
あくまでも現実に存在はしていないが。
大震災を通り抜けて思う事、そして歳を重ねて思う事は、死んだ人に心を残すことは、人間の情として自然だという事だ。
前向きに生きる事のみに心を砕き、無理に忘れようとする方が不自然である。
二度と会えない「さよなら」をしても、何処か知らない世界で又会って話が出来るかもしれない。
私は、ずっと介護していた母を2月に亡くして、不意に老い始めたばかりの母との何気ない会話が蘇る事がある。
寂寥感がどっと身体の底から押し寄せる。
母がいなければ、どんなに自由かとお気楽に思い込んでいた私は、今は重いマザーロス状態だ。。
今は、自分の心の奥底にあった近しい人との愛憎の不思議に目が眩む思いだ。
今は、母の幻が急に現れても、それは自然の事で自然に受け止めれば良いのだと思う。
オカルト的な意味ではなく、健康な心を持ちながらも、「懐かしい人に何処かで会えると信じ」ていたい。
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